「小さないのち」会報--こころの扉 No.73「わたちたちにとってのふつう」
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2016年11月21日
こころの扉 No.73「わたちたちにとってのふつう」
発行 小さないのち

 日常的に使われる日本語に「ふつう」がありますが、この言葉、良くも悪くも幅広い意味をもつと思われませんか?一般に、ふつうであることに安心したり、ふつうじゃ物足りない気がしたり。そして一般に、子どもは元気に生まれて元気に育つのが「ふつう」という考えがあったなら、その常識は私たちにとってつらいものです。この会の中でも、ふつうでなくなったことを悲しむ言葉や、ふつうであった頃を懐かしむ言葉がよく聞かれますが、歳月を経て再びふつうに近づいたとき、また複雑な思いが語られたりします。私たちにとっても、「ふつう」とは、ずいぶん幅の広い言葉に思えます。
前回の大阪のつどいでは、終了後に7人が自然ととどまり、さまざまな話題に花を咲かせました。そのときの内容がとても意味深かったので、後日皆さんにお願いをし、個別に当日のお話を振り返っていただきました。まずはテーマを「ふつう」として、そこから自由に語っていただいた内容を、ご本人の許可を得て紹介したいと思います。読み取りにくい箇所があるかと思いますが、語り口調を生かして文章にしましたのでご了承ください。
(文責−坂下)


1.Fさん
この会の中で、Sさんや、他にも福祉の道とか、小児科のこととかで頑張っている方の姿を見て、私はそういうことができていないから、しんどく感じる思いがありました。でも、その方々は「ごく普通の生活ができなくて高熱状態がずっと続いているようなものだ」と、言っていました。私から見るのと、その方々から見るのとの違いがすごい驚きでした。

私達のように子どもが亡くなってから10年くらいの年数を経た人は会の中では少なくなってきましたね。日の浅い人は一生懸命子どもさんのことを話してくれて、私は聴かせてもらう方が多いので、私はもう話すことがほとんどなくなってきているように見えるようですね。私は自分にないものをスゴイと思うし、周りの方は普通に過ごすようになった私の姿を良いと思って下さるようですね。

子どもが亡くなったあと、カルテがほしくて、手に入れるまでの時期は熱くなっていたけれど、カルテをもらったら落ち着いてしまいました、そこは1つ私のなかで山を超えたみたいで、そのあと向かっていく先は、病気のことを知りたい知りたいでもないし、気が付けば足掛け10年、変に生活に慣れてしまいました。
新しい方のお話を聴いて過去の自分は振り返れても、現在の自分がわかってないというか、みなさんは、子どもさんのことがあってそこから踏み出そうとしているようで、それ見て焦ってしまったというか。これだけのことを体験したのだからSさんたちみたいに何か学び取らないと、というか。私には次の子を産んで育てることはもう無理だし、このまま何もしないで過ごしてしまっていいのかなーと思いました。ところが、「そういう風になりたいの」という声があることにびっくりでした。
最初のころは、気を付けていないと限りなく変な自分が姿を見せていたけど、今は「あなた変よ」と言われることがないから“ふつう”というのは、今は考えなくても身についてしまったようです。

こうじろうが小学校入学のとき、こうじろう宛に「入学おめでとう」とお祝いの電報を送ったように、中学校入学の時ももう一回送ってあげたいな、っていうのはずっと思っていて、ということは、こうじろうは時間と共に大きくなっているってことですよね。亡くなった当時の2歳のこうじろうと、5年生になったこうじろうも私の中にいます。
電報を打ったことをすごいって言われますが、それくらいしか自分の中で思いつかなかっただけなのです。今はかわいい台紙もいろいろ選べて、これだったらこうじろうに贈ってあげられる、って、思って申し込んだら、電話の向こうの人は快く受けつけてくれて、ちゃんと届きました。送ったのは自分ですけど、こうじろうのお仏壇に「おめでとう」って持っていきました。
そういうことしかできない私から見れば、皆さんがやっていることはすごくって・・。つどいにも、私はただ行かせてもらっているだけだと言ったら、こういう会は、誰か来たとき空っぽだったら困るから、ここに来ていてくれているだけでありがたいって言ってもらえて、それなら私にもできる!と思って、それでずっと行かせてもらっています。

亡くした当時はテレビ見て笑うとか、面白いとか感じた瞬間、こんな自分はこうじろうのことが悲しくないのかな、って思っていました。自分は悲しみをずっと背負っていきたいと思っているし、背負っているつもりでいても、人から見て、そうとは分からないようになったら、ちゃんと背負えていないのかもしれないと思っていました。
今はパートさん同士で夜に出かけることになると、大きくなっているこうじろうがいて、もうお兄ちゃんとお留守番できるかな、って思って出かけます。

上の子が4年生になる時、こうじろうが小学校上がる頃に仕事を始めたのですけど、小学校あがるならもうそろそろと思って始めた覚えがあります。職場で子どもさんは?って聞かれて困るから、亡くなったことは言わずにいました。でも、命日の28日だけは休ませてもらっていました。私が休みの時は他の人がカバーしてくれているし、事情を知らない人にとっては、なんで月末なのにFさんだけ休みもらえるの?って思われていたと思います。
言った方が楽な場合があるけど、言ったことでみんなが気を遣ってくれたり優しくなることもありますよね。“Fさんは(子どもを亡くした人だから)仕方ない”と思われないようにしようと思って、言わずにいました、これは1つ、これは、と思ってそこだけは貫いていたことです。職場で言ったのは、最近です。

最近、この人は理解してくれると思う人だったから、話したのですが、その人は、「そうか、わかった」だけやったから、特別視されずに、それでよかったのです。亡くした当時は、自分の行動で後悔しまくりでしたが、ちょっとずつちょっとずつ鈍くなって、それも普通やわ、OKと思うことにして、いちいち反応していたらきりなくなってくるし、ちょっとくらいいい、ということを学んだのでしょうね。ここはこの程度でいいかな、とか、過剰な反応をしなくてすむようになりました。

私たちは、言っていることと考えていることが矛盾だらけのことがありますね。入会して2〜3年の頃、私はこうじろうと一緒に過ごしている感じだったけど、Kさんが「T子が自分にとって今いい場所に落ち着いた」と言われたのを聴いて、じゃあ私にとってこうじろうはどのポジションにいるんやろ?と思ったけど、今になってこのことかなと思えます。
生きていて抱っこして過ごした時間と、亡くなってから一緒に生きた時間、前は、生きていた時間だけが大事だったけど、今はどっちも同じように大事です。そう言いながら、はたから見たら普通にしている自分がいるから、それをよしとしないといけないだろうけど、でも自分の中ではこんな自分になってしまっていて寂しいとか、驚きとかがあります。こうやってみんな時間を経過していくのかな。

何事もなかった人って、何も考えずに会話できますね。“それは違うやろ”とか、“どうしてきつい言葉でもぽんぽん言えるんやろ?”って、思います。自分の中でひっかかることが多くて、前は、それが辛くてしんどかったけど、今は“この人こんなこと言って、何も知らんねんな”と思うようになりました。私たちは、一緒になってそうなったらいけないですね。これも、子どもを亡くす体験をする前の私と、いま普通に暮らしている私との違いかもしれない。
つどいでも、最初行き始めた頃は、これからたどるであろう道のことを教えてもらっていたのが、年数たっている人がいないから、今はちょっと立場が変わってきています。いやがおうでも時間が経って、自然と自分も変えていっているところがあるのだろうなと思います。それってちょっとくらいお利口になっているのかな。一人じゃ気づかないですが、つどいに行って気づく事がいっぱいあります。一人でいても一人の思い込みとか、しんどくてもしんどいまま見出していくしかないけど、つどいに行くと、何も言わなくて話を聴いているだけでも、もやもやしていたことでも見方1つ変えるだけで、そうでもないことやなと思えます。自分が話さなくても、誰かと誰かが話していても、自分と違ったり、聴いているだけでも、思わぬところで、これって喜ぶべきことなんやと発見があったりします。

家ではこうじろうのことをあまり話しませんでした。だからつどいに行くのが好きで、そこではこうじろうのお母さんに徹して、聞かれて困ることも言われて困ることもなく、私の中ではスイッチのオンとオフがあるようなものです。気が付いたらこれがわが家のスタイルになっていました。

我家は月命日にお寺さんに来てもらっています。お寺さんには恵まれていて、毎回変わらずとやかく言われることもなく、今でも「こうちゃん」て、言ってくれるし、思い出話をしてくれます。都合がつけば母とか妹もきてくれたり、土日と重なったら子どももいたりします。これをなくしてしまうのは、私の中ではダメだし、ずっとしてきているからこれからも続けるだろうなと思います。

2.Yさん
Fさんの話を聴いて、そうそうと思ったことがあります。例えば子どもを亡くした時、皆さんが泣いたとか、家から出られなかったとか、何もできなかったとか、カウンセリングに行かないといけないと思ったとか、言われるのですが、私はそれが全然なかったのです。告別式が終わった翌々日には下の子を保育園に送ることもできたし、ということは、家から出る事ができたので、私はこれでいいのだろうかと。ごはんも食べられたし、寝られたし、悲しんでいるのだけど、みんなに比べると悲しめてないじゃないかと思いました。
いろんな本を読むといろんな悲しみ方がありましたが、自分はちがいましたね。じゅんぺいが亡くなったのに、私はこんなに苦しいだとか、寂しいだとかが出せないというか、普通に何でもできたということがひどい母親やと思ったのです。つどいに行かせてもらううちに、皆さんのように自分が悲しめてないことで、じゅんぺいが可愛そうと思って、そのへんがしんどかった時がありました。

一時期、子どもを見ると魂がぶわーっと抜けるみたいな感覚がありましたが、泣くことはなくて、つどいでも泣かないんです。泣いたのは初めて参加した時だけでした。家でも、テレビ番組の主人公のかず君(病気で亡くなってしまう)とじゅんぺいを重ねて泣くことはできるんです。番組が終わったあとじゅんぺいとすごく会話ができたみたいで気持ちいいんですけど・・この5年間、亡くした日と告別式くらいでしか泣いていません。普段は泣くことがほとんどなくて、じゅんぺいがいたときの生活と、いなくなってからの生活で、じゅんぺいがいないということ以外変わりがないのが、すごく嫌です。

我慢して泣かないわけじゃないけど、泣けない。だからドキュメンタリー番組をよく見ます。見て、主人公の顔がじゅんぺいに見えて、その時間が安心できてほっとするんです。実は昨日もそういう番組があって、出ていた子が、病名は違うけどじゅんぺいと同じ薬を飲んでいました。亡くなっちゃうんですけど、じゅんぺいと重ねて、テレビに話しかけて、泣けるんです。終わったら、告別式で魂が抜けたときのような感じになってそれが私には楽なんです。

前、Sさんが東京のつどいの最中に地震があって、みんな咄嗟に逃げたって言っていましたね。死にたくないのがわかりますよね。私もそういうことがあったら、きっと死にたくないと思うと思います。死にたいって私も言いますけど、それを言う時は生活の中がしんどい時です。

亡くなって10日後くらいに、何かじゅんぺいのことでしたくて、どこ行ったらいいか分からないから市役所に行って「子どもの亡くなった人の会はありませんか?」って尋ねたりしました。そしたら市役所の人にびっくりされました。でも“小さないのち”に出会ったら、もうそういうことしなくてよくなって、じゅんぺいの亡くなる前に戻って、普通かな。でも、私から見たら、NさんとかSさんは学校へ行って勉強してますよね。私も何かしたいって思いますが、でも、そこまで行動できない。

じゅんぺいは、肺ヘモジデローシスという病気でした。一度、同じ病気の子いますか?って難病の会に電話しました。そこには同じ病気の子はいませんでしたが、これはこういう病気ですというコピーを送ってくれました。こういう病気の方を探している人がいますって機関紙に載せてくれましたが、5年経っても見つからないです。

下の子がいたから、保育所に送っていくために外へも行けたし、ご飯も作ったし。世話をしないといけない小さい子がいるのといないのとでは悲しみかたが違うと思いません?下の子がいたらすぐ何かしないといけない時間に追われて、泣いてることもできなくて。人によっては抱っこしながらも泣くだろうけど、私は普通の生活にぱっと戻れたのは下の子のおかげかなあ。いなかったらお骨を抱いてずっと家のなかにいたかな。じゅんぺいが病気をもってたから、兄弟が必要と思って、下の子はじゅんぺいのために産んだ子なんです。じゅんぺいが与えてくれた子なのかなと思う。

会報は、自分を楽にしてくれました。つどいに行けなくても一人で読めるし、私には役に立ちました。そうそうと共感するのもいいけれど、違うって思うのもいいことだと思うんです。
つどいでは、Sさんがいつも「自分の話は何を話してもいいけれど人の考えを否定することを言ったらだめです」と、おっしゃいますが、これは大事だと思うんです。あの方とは違うなって思っても、あの方の意見はいいなと思うこともある。子どもを亡くしたことだけは同じで、生き方はいく通りもあるんだったら、自分も生きていけるかな、と思える。

皆さん、何ヶ月前、何年前、亡くした時期も違うし、ほとんどのことが違うと思うんです。私は5年後が分からないと言ってたのが、今、5年経ったんですけど、亡くした当時は、自分の1年後はどうなのか、自分が怖かったです。

(坂下)何かしたいことというのは?

いのちを子供たちに伝えたいというのは思う。私が幼稚園の先生してたときは、子供相手だからできたけど、大人の前ではやっぱりできない。一度、じゅんぺいのこと書きたいと思って書き始めたことはあるんです。でもできなくてやめたんです。ただ悲しいことだけ書いて自己満足で終わるのはいやで、たとえば自殺する子が多いからそういう子に伝えることができるような本だったら書きたいな。
亡くなった当時は、それを知ってもじゅぺいが生き返るわけじゃないのに、どんな薬を使っているか、どんな治療しているか知りたくて、自分で同じ病気の人を探し当てて、尋ねたりしました。

じゅんぺいの具合が悪くなったときのことですが、突然サチュレーションの値が下がり出したから、私が先生に、命は助かりますか?と聞いたんです。先生は、脳に障害が残るかも、と言われました。そう言われても、私は生きてほしいと願いました。今考えると、障害があっても生きて私のそばにいてほしい。抱きたい。と思うこの気持ちは、私のわがままかな、私の勝手かな、とも思うんです。じゅんぺいは障害をもって寝たきりで生きるのは嫌で、今まで通り走り回りたかったのかな。 だからじゅんぺいが自分で天国へ行くと決めたのかな?そう思っても、毎日じゅんぺいに帰ってきてよ、と話しかけています。

3.Nさん
私は、自分では自分のことを「普通」だと思ってるんですけど、一方で、周りの方が客観的に私を見た時に、「私は普通じゃないかも?」と思う自分もいたりして、なんかすごく難しい気がしているんです。
りんかが亡くなった時、私は、世界が変わってしまったと思いました。そして自分の生き方を変えたくてたまらなくなったし、実際に変えました。もちろん、どんな方もお子さんを亡くすことは世界が変わるくらいの衝撃で、たぶん生活も今までと同じにはいかなくなると思うんですが、私はその中でも、仕事も含めこれからの生き方を大きくシフトチェンジした人間のひとりだとは認識しているんです。
でも、それも自分の中では普通なつもりなんですが・・。でも一方で、ちょっと見方を変えると、傍から見た時に、仕事を辞めてまで大学院に進学するとか、この年になってまで臨床心理学を勉強したいという思いに向けてシフトチェンジしたというのは、普通じゃないのかも、と。人が「すごいね」と言ってくれたりした時、すごくはないけど、「普通じゃないのかな?」という風に感じる自分もいます。

先だって、りんかがお世話になった小児病院の助産師さんにお会いした時に、助産師さんが「次のお子さんは考えておられますか?」と尋ねてくださったんですね。私は考えているので、それについては肯定的に答えつつ、一方で「実は、臨床心理士を目指しています」という自分の思いを話したら、助産師さんが「そういう考え方もあるんだ」とびっくりされて・・。そのびっくりの仕方が、私にとっては新鮮でした。なぜかというと、助産師さんがおっしゃった質問は、一般的に子どもを亡くした母親が生きる力を取り戻しつつある時に、次への目標というか、未来への光としてつくり出すものとして「次の子ども」というのが一般的なのかな。だからそのことを尋ねてくださったのかな、と思ったんですが、でも私が発した言葉が、「援助者の側に立った生き方をしたい」という思いだったから、びっくりされたんだろうと思ったんです。それは一般的じゃないのかな?

(坂下)辛い経験をした人がのちに援助する側を目指すことは、自然な心のはたらきだと思いますが・・

「時機が来た」という言葉が近い・・気がします。私が心理臨床の道を志したのは、小さい頃に妹を亡くしていることが大きく影響しているので、ずっと続いていたことなんだろうな・・と。りんかが「もうそろそろだよ、生き方を定めるなら、今だよ」って知らせにきてくれた気がします。そう思ったから、迷わなかったですね。

「普通」という言葉には、もともと色はついていないはずだけれど、この言葉を使うときに、人は「普通じゃない」などと用いたりして、ネガティブな意味をつけたがるんですよね。自分では普通と思うことでも、「人から見てどうか?」と、人目が気になります。それは、自分が自分であることが脅かされるからかもしれないし、良くも悪くも、人目を気にすることが人間の本能だからかもしれない。私にとっては、子どもが亡くなる前の自分の生活を「普通」とみなしているんだろうか・・子どもを失った自分は普通ではなかったはずだけれど、時間とともに、普通のところに追いついてしまう気がしています。
幸せの絶頂から急に不幸になった、その落差が大きいだけに、「なんで私なの?」って思う。みなさん共通して感じられることかもしれないですけれど・・。たぶん比べるとしたら、幸福な生活を思い描いていた、そのイメージと・・でしょうね。思い描くことはそれこそ自由で、思いきり幸福に描いていたイメージが崩れ去って、そこから落ちる自分・・。日常生活の「普通」は、失ってみて初めてわかるものでした。

まだずいぶん、亡くした悲しみが生々しかったときに、Sさんからいただいた言葉の中で、「年月が経つと、あんなふうに色濃く悲しめる時期がいとおしく思える時がある」というのを、今、想い出しています。あの頃はすごく辛くて、それこそ、ふらふらになって立って居るのがやっとだったけれど、今も悲しい気持ちはあるけれど、でも、あの頃ほどじゃないですよね。その生々しい悲しみを、頭では覚えているけれど、感覚としては忘れていくこと・・に対して、怖さを覚える。でも「それが、生きていくということなのかな」と、どこかで達観してる自分もいて。忘れたくないけれど、忘れていく自分・・、色あせる薄れるということが、生きていくことなのか?・・複雑な心境ですね。大切な子どもが生きていたということは、なかったことではないし、なかったことには絶対したくないのに・・。

私は、今の自分の生き方を、「亡くなった子どもと一緒にどう生きていこうか?」という気持ちを反映させた生き方だと思うんです。今の私の生き方は、りんかと生きていく方法だと思ってるんです。大切な子どもと一緒に生きていく方法を、必死で試行錯誤しながら、ぴったりくる方法をつかみ取った・・、それが私にとっては、臨床心理学の勉強をすることであり、同様にこころに痛みを抱えた方々のサポートをさせていただくことでした。きっと、それぞれの人がそれぞれの生き方の中で、亡くなったお子さんと一緒に生きる生き方を、見つけていかれると思うんです。お子さんが亡くなる前の生き方とほぼ変わらない生き方をされる方、ぜんぜん違う生き方を見つけていかれる方・・・百人百様だけれど、きっと共通するのは、根本の部分にお子さんが大切に生きているということ・・・このことは変わらないと思うんです。

Yさんが「私は何もしてあげられていない、普通に生きてて・・」ということをおっしゃったんですけど、Yさんは、J君といつも一緒で、お骨になったJ君と離れない生活をしていらっしゃる。そのYさんが「何もしてあげてない」とおっしゃったのは、驚きでした。すごく大切にされている、YさんにしかできないJ君と関わった生き方をされていると、Yさんを見て私は感じるので・・。

4.Mさん
“ふつう”っていう言葉は幅があって、“ふつう”の概念は人それぞれだと思うんです。“ふつう”ってよく使われるんですけれど、この前のつどいで話していた“ふつう”というのは、その人なりの“ふつう”で、それぞれにあるんじゃないかと思いました。私にとっては、朝起きて、朝ごはんを作って、家族を会社や学校に送り出し、食事をして、家事をしておかえりと言って迎えることが普通の生活になっています。
その後は何をしていてもいいから、朝は起きていってらっしゃいと送り出してほしいと主人から言われたので、しんどい朝もそれだけはと思ってやってきました。そうするうちに泣きながら起きる朝も、ゆうすけが夢に出てきて嬉しい朝も同じように起きるのが当たり前になっていました。そういう意味では、私の場合、前と後で極端な変化はありませんでした。ゆうすけが元気だったときのままの生活を続けることで気持ちのバランスをとっていたのじゃないかと思います。家族が仲良く、一緒に過ごすことでゆうすけとも繋がっているような気がします。それがふつう、そしてそれは、ゆうすけが一番喜ぶことなのかなと思います。

Sさんがおっしゃった、「平熱・高熱」と言う言葉がおもしろかったので印象に残っています。平熱も人によって違うのだけど、Sさんはご自身で高熱かも?とおっしゃっていましたね。Aちゃんに関わる目標に向かって努力を惜しまず、しっかりと進んでいらっしゃるSさんにとってはその高熱が平熱なのですね。Aちゃんへの思いの深さと努力を尊敬します。私にもゆうすけへの思いは確かにあるのに、今は何もできていない、ゆうすけに関して何ができるのかは、これからの課題です。

つどいでFさんが“ふつう”について語られている内容に共感していました。私の中でもゆうすけは幼稚園を卒園して、みんなと一緒に小学校に行き、成長させているので、私も今は一年生の母の気分です。もちろん現実の一年生の姿を見るのは辛いことですが。

一方で、Sさんが目指されていることも、私の心の中のどこかに芽生えていることだからこそ、つどいがある大阪に足が向くのだと思うし、お話に引き込まれてしまうのでしょう。人によって目指す方向は様々ですが、まったく違う世界のことではないように感じます。

お子さんを亡くされてから、なんとか生活ができていても、社会との関わりを持ちたいとか、亡くなった子どもに関わることで何かをしたいという気持ちは私のなかにも大きくあるので、きっとみなさんにも共通することなんじゃないかと思うんです。Fさんがないものねだりかもしれないと言われたことも、すごく気持ちが分かりました。
子どもを亡くす前と後で、基本的な部分では変わらないんじゃないかなと思いました。丸っきり変わったという人は、もともとその素養を持っていて、ある事をきっかけにそれが引き出されたのではないでしょうか。極端には人間の本質のところは変わっていないんじゃないかな。

本質は変わらなくても、目に見えるところでは、生活の中でテレビ番組や本の選び方が全く変わったことに気がつきました。新聞記事も関連のあるものを拾い読みしています。いのちや、人生に関わることが一番の関心事で、かなり偏っているかもしれません。

お子さんが12歳で自死された作家の高史明さんの「生きることの意味」という本を早速図書館で借りてきました。深い意味をもつ内容を子どもにもわかる言葉で書かれてあります。
もう1つは、「悲しみにさよならを言う本」という分析型の本で、まったく視点が違うもので、決められたステップに従って読み進んでいくものでした。自分の心に整理をつけながら蓋をした問題について自分自身と向き合うという内容でした。そんな方法があるなら読んでやろうという気持ちで試してみました。向き合った後に信頼関係のある人に必ず抱きしめてもらうことがポイントのようでした。

本で自己分析をしてはっとしたのは、私は自責感がすごく強く、それは一生消えることのないことで、持ち続けて、その上で考えていこうと思っていました。子どもがこうなったのは自分のせいと思うのは、どうにもならないと思っても簡単に消えるものではありませんが、病気になってほしいと思ったわけではない、故意にではない。助かった命かもしれないけれど、私は助からなくてもいいとは一度も考えたことがない。どんなことをしても助けたかった。それは間違いなくそうだなと思いました。亡くなった人に伝えられないままになっている思いや言葉を紙に書き出して声に出して伝えることが大切なんだそうです。

うちの2軒先にゆうすけと同級生のお友だちがいます。お母さんは、悲しみを経験されていて、思いやりが深く優しい方ですが、お留守のときにその方のお姉さんとお話する機会があって、ゆうすけのお話をしながら「これまでよく頑張ってきましたね。」と抱きしめてくださったんです。妹さんからいつもお話を聞いていたそうで、ゆうすけとパパが自転車乗りをしている姿をよく覚えていてくださって。すごく気持ちが落ち着いたので、抱き締めてもらうって効果があることなんだなと、思いました。信頼があったからこそ、そう思えたのだと思います。ほんとに素直に受け入れられたし、お姉さんも涙ぽろぽろ流しながら、自分に子供がいないから甥や姪をかわいがっておられて、ゆうすけはその大切な友だちだからと。親にも抱き締められたことがなかったので、安心して、心が落ち着いたことも伝えられました。言葉はいらないと思いました。

変わらなければいけないとは思わないのですが、私に何ができるんだろうって、ずっと考えています。同じ境遇の人の手助けになるなら、一人でも二人でもいい、自分自身が出来ることがないか、それは何なのか探しているところです。
分からなくても諦めず考え続けることが今は大事だと思います。答えはきっと最期まで分からないですよね、それを見つけていく、私もなにかやりたいと、ふつふつと思っているんですけれど、それがまだ何かわからない。

ただ、ひとつだけ確実にやっていることがあります。残された娘にいのちの意味や、大切なことは何なのかをそのつど伝えています。以前は時間に流されてしまっていたことを、今なら立ち止まって伝えられています。それをどう広げていくのかまで、考えが及ばないんですけれど、それだけはやってるなと思います。小さい範囲ですけれど、今できることをやっていきたい、興味をもって考えていきたいと思っています。具体的に何か、ということがないだけで、いままでとは確実に違う感性になっています。

5.Kさん
私もそんなに自分が落ち着くところに行けてなくて、一所懸命やってる感じがするんですけどね。普通にはもう戻れない気がして、もちろん普通の生活をおくるということには憧れるし、そこにいけるのが一番いいけど、私には前と違う自分の落ちどころを探しそうで、それが今の自分の行動なのかな。ほんまに何もなく穏やかに、一般から見た普通の生活に戻れてるというのは目標かなと思うんですけどね。普通は確かにいろいろあります。普通がわからなくなってるってSさん言われてましたけど、ほんまですね。

私が看護師をしているっておかしいですかね?身を置いてる中でもすごく苦しいんですけどね。ほんまに遺族の立場になったら看護の仕事が成立しないところがありますよね、組織に所属してる立場もあったり、医療者側と遺族の違いがあったり。うまく家族の代弁者になりたいとか、家族の気持ちがわかる医療者でありたいと思うけど、結局そっちの気持ちがわかるほど自分ができていないことが嫌なんですね。できてない状況も、できてない自分も。そのせいで自己肯定感がなくなる。でも、やっぱり一瞬、医療者の側の何もかもが患者さんの望むことが叶わないことがありますよね、物理的にも、そういうことにいやになるのかな。私にしたら、Fさんみたいに生きていってる人は憧れで、Fさんから見たら、私のような生き方がうらやましくて、自分が何もしてないみたいになるのもつらいやろなあ。
この間のつどいで話していた、テレビ番組が子どもや人の死に関するものが多いということ、私も思ってたんです。私は最近そういう番組が見れないんですが確かに多いなと思うし、この間の長崎の病院のようなやる気のあるスタッフの病院が取り上げられると、そうではない病院があることがどうすれば伝わるかとか、ああいうふうに頑張れる家族を見て、そうはなれない人は自分を責めるんじゃいかなとか考える。苦しいこともグリーフの過程だということが伝わってほしいけど、いい面ばかりが取り上げられるとつらいなと。確かに立派ですごいけど、みんながそうはいかないよな、と。

このごろ私はなんか、そういう番組やってるの知ってて見なかったり、いいところでチャンネル回したりとか。でもね、なんとなく何をやってるかは確かめてたり。辛くなるんですよ、このごろは。辛さが変わってるというのは実感するんですけどね。前はいなくなったことが辛かったけど、今の辛いのは、今頃こんなことしてたのに、何年生やったらこういうことして、ということが私には体験できないのが辛いです。

思い出がたくさんあるというのは、心がいい時にはいいものだけど、ころっと悲しい材料になることもあるかな。私も、あの子がいてくれてよかったと満たされたことがあったけど、心が辛い時は、それ以上体験させてあげられなかったこととか、自分ももう体験できないことが、切ない。
中学生になると、成長して自分らしさとか、自分の人生を歩んでいこうとする時だから、その頃はどうなってたんかなーと思うと、そういう自分の楽しみがなくなったことも悲しいし、このごろ私はうらめしく思ってしまったり、やきもちやきだったり。

看護大学卒業することを目標にしてるけど、ほんとはそれにしがみつきたいわけではないし、それがすべてじゃないです。結局、看護の場面では、あまり私がしたい遺族のケアは私にはぜんぜん見えてきてないから、このまま看護をやってていいのか、看護をやっていって満たされるのか、やっぱりわかりません。シンプルに、カウンセラーとかになったほうが自分の満足感はあるのかなとか。

お仏壇に手を合わすとか、供養とか、遺影とか、お仏壇とか、お墓参りとか、納骨とか、どうされてるのかなと。私はそこのところができてないけど、自分の心の中では形にとらわれたくないと思っています。いつも頭の中にはあって、いつも思ってることは間違いないけど、お墓参りに行く事で証明できている人がいるけど、私はそれができなくて、そういうやり方でしたくないんです。そのへんて、皆さんどうなのかな。

関わりかたは、頭のなかでいっぱいっていう感じかな。供養ということはよくわからないけど、頭のなかにしっかりとあることが、とうこのことを忘れてないよ、大事に思ってるよ、ということの証明のように思ってて、それを誇りにも思っています。

私がやっていることは、とうこがやってほしいと思っている、と思ったこともないし、とうこのためにやっていることは、ずっと忘れない、ずっと一緒にいる感覚しかありません。忘れていっているところもあって、それが嫌で、忘れたらどうしようという不安もあるけど、誰よりも思っていることには自信がある。感じることは薄れていっているけど、でも考えている。

前は亡くなってしまったという悲しい気持ちでいっぱいで、今は自分の生き方を考えているのかなあ。ちょっと自分に問いかけてみます、もっと楽に生きている人もいるのになんでこんなに生きにくいのかな、と思います。


6.Tさん
ふつう、というのはその人が子どもを失う前の状態を言うのだと思います。世間一般の「ふつう」と一致していてもいなくても。だから失った後はもうふつうじゃないし、ふつうには戻れないと思います。これは否定的な意味ではなくて、心の中で大きな変化が起こったという意味で。
私の場合は、内面はぐちゃぐちゃでしたが、外から見ればふつうにしてたと思います。息子が亡くなって一週間で仕事に戻ったし、ごはんもよく食べたし、眠れないこともあまりなかったです。息子が亡くなった時に職場の先輩に「今まで打ち込んできたことにひたすら打ち込みなさい。それが生きていく支えになるから。あなたの場合仕事は絶対やめたらだめ。やめたら立てなくなるよ。」と言われたことを守りました。実際、家では泣いてばかりで、仕事に行く途中もずっと泣いてるんだけど、学校に着くと、しゃきっとする。教壇に立つとなんとかしゃべれる。授業をしている時は夢中で、息子のことも思い出さないんです。終わったらもうだめです。校門を出た瞬間に涙がドバッと出てくる、という繰り返しでした。仕事に行くのが辛いと思ったこともあったけど、もし今やめてしまったらきっともう家に閉じこもって社会に出られなくなると思って無理やり出ました。そうやっているうちに1年が過ぎていた、という感じです。
 でも外から見たらどうだったのかなあ。もしかしたら自分で思ってるほど「ふつう」じゃなかったかもしれませんね。

SさんやNさんを見ていて、すごいなあと思うし、そういう生き方って憧れるし、心理学や喪失について学ぶことも考えたんですけど、結局ホームヘルパー2級の講座を受けました。何か直接人の役に立ちたいと思って。でも勉強していても思い出すのはあきらのことばっかりで。あの時もっと知識があったら、もっと楽にしてあげられたのに、死なせずにすんだかもしれないのに、ということが頭をぐるぐるめぐってしんどくなることもあって。実習はそれなりに楽しかったですけど、今したい仕事はこれではないと思いました。で、結局職場を替わったものの、もとの仕事を続けています。Sさんたちのように目に見えて生き方が変わったわけではありませんし、外から見たら本当に淡々と毎日を過ごしてるんですが、心の持ちようがあきらかにかわったとは思います。Mさんもおっしゃっていましけど、難病の子どものテレビは必ず見ますし、子どもの虐待には本当に腹が立つし、子どもを救う募金などはできるだけします。命について真剣に考えるようになったし、人にもそれを伝えたいと思うようになりました。本にも助けられました。喪失の本を探しまくりました。子どもを亡くした人がどのようにその後の人生を生きているのか知りたくて知りたくて。もともと本好きだったんですけど、とにかく本に救いを求めてる感じで、一段落した今でも小説より闘病記などをよく読んでるくらいです。こう考えてみると、やっぱりSさんやMさんがおっしゃるように人間って根本的にはそう変わらなくて、大きな出来事(子どもの死)を経験したことで、もともと持っていたものが顕在化してくるっていうことになるのかなあ。
 こんなことを言いながら、実は私、「ふつう」という言葉には懐疑的です。「人それぞれみんな違ってて当たり前」ということが言われているのに「ふつう」という枠があることはおかしい気がして。「ふつう」って誰が作ったん?って。「普通の人」って何?って。まあ、表面的なことだけをとらえた言葉なのかな。だから「ふつう」と言わないで「常識的に考えて」とか「〜する人が多い」という言い方に変えたりしてささいな抵抗を試みるんですけど。

うちはたまたま別々の方から折り紙で作ったお雛様と五月童の色紙をもらっていて、2月からお雛様、4月から五月童を額に入れて飾っています。夫がミニこいのぼりを紙で作ってお仏壇の横に立てています。3月3日は父と散らし寿司を作ったんです。外に向って子どものことは言いにくいけれど、いつもいつも考えてたいし、何かしてやりたいと思ってるんで、そんなことで小さな満足感を得てます。

今の生活は一見「ふつう」です。毎日仕事に行って、休みの日は本を読んだり買い物に行ったりして。お稽古事も続けています。人とちょっと違うのは、毎日朝晩ミルクを作ってお供えしてあきらと話していることかな。それとお骨を少し携帯用の入れものに入れていて(乳歯を入れる木製のもの)、それを夫婦どちらかが持つようにしています。朝の会話は「今日あきらどうする?」「仕事につれていくわ」とか「昨日音楽スタジオでうるさかったから今日はうちで静かにさせてやって」という感じでちょっと変です。上着のポケットに入れたままロッカーに一日中おいてたり、職場の机の引き出しに入れたまま帰ってしまったり、けっこうひどいこともしてます。でも「あきらは一人でもけっこう大丈夫な赤ちゃんだったからいいよね」とズボラ夫婦は思ってます。


編集後記 今回のように仲間の姿が目に浮かぶ会報を、これからも作っていきたいです。ご協力くださった関西の皆さん、本当にありがとうございました。
つどいには出席できないけれど会報で近況をお知らせできますよ、という方がおられましたらお知らせください。こちらからお電話させていただきます。原稿は、確認していただいたうえで掲載するようにしています。もちろん文章でいただくのも歓迎です!ご連絡お待ちしております。(坂下)