【3月】20周年記念シンポジウム

2019/04/14

「小さないのち」は、全員が子どもを亡くした家族で構成している自助グループです。
発足から二十年が過ぎました。この節目の年に下記の記念行事を行います。
限られた命を生きる子どものそばに身を置き、死別後も家族の声に耳を傾けている余谷暢之先生のご講演に続き、3人の会員が体験発表を行います。
子どもが受けた医療と家族が受けたケア、そのとき幼い兄はどのように過ごしたか。
当時を振り返るとともに死別後の道のりや、今改めて言葉にできることをお話しします。同様のお立場の方や、重病の子どもに関わる専門職の方に聴いていただけますと有り難く存じます。

◆プログラム

1.基調講演 「生命の危機に直面する疾患をもつ患者と家族」とともに
余谷暢之氏 国立成育医療研究センター総合診療部 緩和ケア科 診療部長

2.「小さないのち」の20年を振り返り 坂下裕子

3.体験発表 当会の会員3人(母親2人と中学1年生の兄)

【発表の概要】
「最後まで生きると信じた白血病との闘い」
次男は1歳の時に白血病になりました。闘病中に菌に感染してしまい、急変し看取ることになりました。半年間の闘病生活の中で、医療従事者の方から受けた日常のケアは、次男を亡くした後の私の生きる支えとなりました。その一方、看取りの場面では、何一つ選択肢を与えてもらえませんでした。最後まで積極的な治療を続けたことで、次男は一人でこの世を去りました。最後の時は私の腕の中で看取ってあげたかったという思いが、後の私をとても苦しめました。病気や運命には逆らえないとしても、看取り方に関しては家族に選択肢があっても良いのではないでしょうか。
次男の亡き後、私のなかにあるのは、悲しみと苦しみの感情だけでした。長男の世話をするのが煩わしくて葬儀が終わると無理やり学校に行かせました。長男には悲しむ時間を与えませんでした。このことは、今の私を苦しめています。次男の闘病と死をどのように体験し受け止めているのか、母親の立場からと、兄の立場からお話させて頂けたらと思います。

「きょうだいの気持ち」
ある日、お母さんが弟を連れて、幼稚園に僕を迎えに来ました。そのまま大きな病院に向かい、弟は入院することになりました。この日から、僕は弟と会えなくなりました。そしてお母さんとも別々で生活することになりました。幼稚園児だったぼくは、「なぜ入院するのか」というような質問をする発想がありませんでした。この頃の僕が知っている病気は風邪くらいでした。だから「弟は、入院をしなければならないくらいの風邪をひいてしまったんだ」と思っていました。死んでしまうような病気だとは思っていませんでした。ずっと風邪だと思っていました。最後に、弟のお見舞いに行った日、お母さんが「弟に会いたい?」と聞いてきました。僕は「会いたい」と言いました。弟の顔や体はパンパンに腫れていたけど、怖いという気持ちはありませんでした。嬉しい気持ちでした。ぼくは、弟のことをあまり話したくありません。話した後にとても悲しくなるからです。でも、弟がお世話になった医療従事者の方だからお話ししようと思います。

「我が子への迫られる決断と永遠の葛藤」
不妊治療を経て誕生した娘は、心臓の状態が悪くNICUのあるこども病院に緊急搬送となりました。極度の緊張状態だった私たち夫婦に、更に染色体検査の結果がのしかかりました。娘には13トリソミーの染色体異常があり、合併症の症状は非常に重篤であるとのこと。主治医から委ねられた心臓手術をどうするかの決断。なんとしても助けたかったけれど、手術が余計に寿命を縮めるかもしれないという恐怖。顔の形が変わるほど泣いて、私たちは娘を看取りました。しかしそれが次なる苦悩を生み、夫婦は離婚への道をたどります。
あれから何年も時が巡りました。刺々しい悲しみは少しずつ丸みを帯び、自分の胸の中で抱えることができるようになりました。それでも時折あふれる涙を自覚しながら今、娘が生まれた意味をどうとらえ、どう生きようとしているか。こういった看取りの例の場合のひとりの母親の、その後の「グリーフ」を聴いていただければと思います。

◆日時 2019年3月24日(日)13:30~16:30 開場13:15

◆場所 関西学院大学梅田キャンパス1405室 (茶屋町アプローズタワー14階)

◆対象 医療従事者 グリーフケアに関心のある人

◆定員 80人(要予約)

◆参加費 小さないのち(子どもを亡くした家族の会)の運営への支援として
一口500円の寄付を3口(1500円)以上でお願いいたします。

◆申し込み・問い合わせ 会代表 坂下(さかした) 裕子(ひろこ)

主 催 こども遺族の会「小さないのち」http://www.chiisanainochi.org/