日本死生学学会 特別講演

2009/04/16

【学会抄録から】

1.5人称の重さに向き合う

子どもの死が紡いだもの・もたらしたもの

小さないのち 代表 坂下 裕子

 

1.5人称という名詞は日本語になく、私が創った造語です。

死は、誰の死であるかによって伴う感情が異なり、深い悲しみを抱くのは二人称の死だとされています。

二人称の相手とは「あなた」と呼びかけるかけがえのない人。これは自明のことですが、人と人の関係性を従来の人称別に分類すると、わが子もかけがえのない誰かと同じように二人称の関係に含まれます。

これに違和感を覚えた人は多いはずです。けれども親にとって子の死がどういうものであるか、これまで十分には明らかにされなかったように感じます。

江戸時代に「7歳までは神の子」といわれた幼子の死は、触れてはいけないことのようにされてきた名残を現在も感じますし、親を失えば孤児と呼ばれ伴侶を失うとやもめや未亡人と呼ばれるのに対し、子を失った人の呼称がないことも不思議です。

そこで、生後まもない赤ちゃんを失った母親から就園以前(3歳以下)の片時も離れず過ごしていた子どもを失った母親を対象にインタビューを行ったところ、ほかの誰を失ってもこの表現はなされないと思われる特徴が明らかになりました。

こうして、親にとってわが子の死は親本人の死すなわち一人称の死にも近い「1.5人称の死」であると確信するに至りました。

小児の遺族は、故人を「思い出す」という表現をあまりしないことや、取り残されてもがき苦しみながらも故人に怒りを抱くことがまずないことも特徴です。

親にとってわが子とはどのような存在であり、その子の死により何を失い、何をよりどころにまた生きていこうと親たちは思ったか。

自身の体験とご遺族たちが語ってくれた親子の物語をとおして、ここに求める理解や配慮について自助グループの立場から提案したいと思います。

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