乳幼児教育学会 シンポジウム

2009/04/16

【学会抄録から】

 

子どもの病気と家族のあゆみ

小さないのち 坂下 裕子

 

「小さないのち」は、急性脳症により中途障害を負った子どもの家族と、死亡した子どもの家族の会として1999年4月に発足した。

現在は、死亡に関しては病名を限定せず病児遺族を対象としている。

活動の目的は、
①家族の心の回復
②子どもの病気に関する情報の収集と普及
③小児医療の充実
である。

以下、当会がとらえた病児と家族の様子および保育との接点について述べる。

突然子どもが病気の後遺症による障害をもつと、親は治すことに必死になる。しかし後遺症は病気ではないので、治らない。

病気を発症するその日までもっていた知能や機能を失った子どもと、また幸せを見出していく道のりは長く険しい。さらにそこには小さなきょうだいの目があり、その子たちの我慢の上に始動する暮らしがある。

病勢がさらに強く子どもの生命が奪われると、親には大きな悲哀がもたらされる。有効なケアは、休息に加え十分に悲しむことや涙を流すこととされているが、小さなきょうだいがいる家庭ではいずれも容易でない。

きょうだいも、喪失体験に戸惑いながら両親の葛藤を見守る。当会の調査では95%のきょうだいに死別の影響がもたらされていた。

このように、病児のいる家庭には大抵ほかに乳幼児がいたり生まれたりすることから、家庭と密接な関係にある保育者へは、病児とどう関わってくれるか、という期待だけでなく、そうしたきょうだいをもつ乳幼児へのかかわりにも期待は広がる。

また健康な幼児も、将来どのような病気に見舞われるか分からない。生涯を通して人が自ら生き抜くための能力を蓄える秘訣が幼児期に潜むならば、保育者への期待は「3重」にあるといえるだろう。

出会う家族を通して、保育とは、永続的にいのちを支える営為であると私は感じている。

「入院してもうかった」。これは5歳で白血病を発症し、12年間病気と共に生きた少年がよく口にした言葉である。

闘病といういわば負の体験に、意味をもたせ、価値をつけていく能力を、いったい彼はいつどのように獲得したのか。

この問いに導かれ、両親への聞き取りを続けたなか見えてきたのは、幼児期の「遊び」と、「地域の大人」とのかかわりであった。

彼が描き続けた夢も、保育士になることだった。

Link 日本乳幼児教育学会