小児心身医学会フォーラム

2009/04/16

「子どもたちに伝えよう いのちのほんとうの大切さ」

当日の発表内容(学会誌に提出した文章)です。

命といのちを見つめて
―小学校でのいのちの授業を通し−

小さないのち 坂下 裕子

皆さんは「命」という文字にどんな印象をもたれますか?

「いのち」ではいかがでしょう。

先日訪ねた小学校の児童の多くは、「命」には生きている“状態”を感じ、「いのち」にはその“存在”を感じたようです。

私は長女を病気で亡くしています。けれども私は今もその子と共に生きているので、娘にはひらがなの「いのち」があります。

これは私と息子(娘の兄)のもつ感覚で、いのちの感じ方は人の数だけあるのだろうと思います。息子が言った言葉は、『命はいまいるということ。でも、いのちは消えないもの』でした。

 

娘の死後、私はとても苦しい日々を過ごしたのちに、病気で子どもを亡くした人たちの家族会を運営するようになりました。

教室でいのちを語る「いのちの授業」に力を入れるようになったきっかけは、昨年、がんの告知を受けた直後に訪ねた小学校での出会いです。

送ってくれた作文に、いのちについて、生や死について豊かに綴ってくれたあと、≪坂下さん、病気に負けない強いお母さんでいてください≫≪元気になってまた教室に来てください≫など、力をこめた、心のこもった言葉を添えてくれました。

 

がんばろう! と思って入院しました。けれどもがんの治療は想像以上に過酷なもので、すっかり変わってしまった自分の体にも圧倒され、私はだんだん頑張れなくなりました。

ここでもう一度私の目を覚まさせてくれたのも子どもたちでした。小児がんの子どもたちの闘病する姿です。気分がよければ楽しく遊び、きゃっきゃと笑うというのは、大人の患者では考えられないことでした。

子どもが今を生きる力はすごいと思い、心から尊敬しました。こうして私は子どもたちの魅力に引き込まれることとなったのです。

 

語りを聞いてもらうのが難しい学校もあり、荒れている学校では語るより子どもの話のほうを聴きたくなります。

けれども語り手という外部講師にそれは難しく、1度しか訪ねることができず、集団としか会えないのです…。

子どもの言葉を聴くために心していることーそれは、極力言葉数を減らすこと。必ず「聴ききる」こと。“テキトウ”な言葉に逃れず、言葉以上のものが何なのかを考えることです。

本当に大切なことというのは、言葉を超えて伝達されるのではないかと思えます。

 

もう1つ、生活のなかで心がけていることがあります。

子どもが「いま」しか取り込めない楽しさを応援することです。

息子が最初に夢中になったのはどろんこ遊びでした。大好きなことをするときの表情は筋肉が引きつるほどです。そういうドキドキワクワクした経験の記憶は、心と体がずっと覚えていることでしょう。

生きてるってスバラシイと、100の言葉を並べるよりも確実と感じます。

それが我が家の「いのちの教育」です。