第9回交流講座 発表者の「回答」と「感想」

2017/12/06

9月19日「子どもの死とグリーフケアについて考える交流講座」で、紙面でいただいたご質問への回答です。

 

質問①

3回目、解剖の結果を産科の先生にお話し産科の先生は、じっと話を聴かれていたのでしょうか。そのお母さんに対する意見みたいな言葉はまったくなく、話を聴き続けてくれたのでしょうか。

話を聴いてくれたことが、お母さんの心を和らげることへとつながったのでしょうか。

 

回答①

はい、私の話を遮られることや意見されることはなかったです。

退院後、3度も産科医師の元に伺いましたが、どの時も同じでした。

質問には、きっちりと医学的に答えを下さり、私の話にはじっと耳を傾けてくれました。

その為、いやな想いをすることはありませんでした。その対応が、心を和らげてくれたかどうかまでは難しいところですが、これ以上何も産科に求めることはないという気持ちになりました。

 

質問②

今、事故して天国に行っても何もかまわないと思われていますが、それはすべてのお母さんに共通する思いでしょうか?

病院の対応がわるかったら、そういう思いは強くなるのでしょうか?難しい質問ですが気になります。よろしければ教えてください。

 

回答②

全てのお母さんがどうかは、分かりませんでしたので、遺族会のお母様方に質問してみました。話が出来た6名の方に関しては、全員私と同意見でした。

ただ、誤解のないように強調したいのが、「死にたい」ではなく「いつ死んでもいい」と思っているということです。皆、死んだら我が子に会えると信じています。

これは、病院の対応には全く関係なく、「ただ亡くなった子に会いたい」その気持ちが私たちには強くあるのです。

 

質問③

当院NICUでは、きょうだい面会は、時間を区別してだれでも会えるようにしているのですが、それぞれのルールがあり難しいと思います。

自分だったら腹膜炎を起こされたとき、これからの予後がさらに厳しい事をありのままにお伝えし、カンファレンスでスタッフの同意を得て、お姉ちゃんの面会を決断したかなと思います。

でも、それは=(イコール)本当に厳しい現実であり、ご両親に先の希望を持てなくさせてしまったかなとも思います。親としてどう考えられたでしょうか?「伝え方」って大事ですよね。

厳しいけれど赤ちゃんの未知の力もあるかもしれません。その辺りを配慮してでも、特例「きょうだい面会」があったらどうだろうかなと思いました。

本当に今日はありがとうございました。

 

回答③

息子の場合は、産まれてすぐからずっと、「非常に厳しい状態」「いつどうなるか分かりません」と言われ続けていたので、特例面会をしてもらえたら良かったと思います。

また仮に、ずっと厳しい状態じゃなかった場合を想像してみましたが、私の場合は事実をハッキリを伝えてほしいという性格ですので、『兄弟面会を提案されることイコール、最悪の時が近づいている告知』だったとしても、やはり教えてほしい、兄弟面会をさせてほしいと希望します。

 

「交流講座を終えての感想」

9月と11月の2回に亘り、交流講座の発表を担当させていただきました。

講座の回数にして、第8回目と9回目になります。

私は1回目から、書記係として参加していますので、会場の温かい雰囲気も分かっており、自分が発表することになった際も、緊張はするけれど大丈夫だろうと、それほど心配せずにお引き受けしました。

しかし、6年経過しているとはいえ、双子の息子・敦生と兼慎を亡くした当時のことを少しでも文字にし始めると、すぐに気持ちが不安定になりました。

折角、医療従事者の方々が、私の話を聴くために、休みの日に遠くから来て下さるのだから、正確な情報にしなければ!と思い、6年前の闘病期間中に書いていた日記や、カルテを読み直す作業から始めたところ、少し読むだけで後悔の気持ちと悲しみが止まらず、涙が溢れてきました。

無気力になり、翌日の仕事も午前中はやる気が起きない状態でしたので、こんなにダメージを受けるのだと自分でも驚きでした。

また、書きはじめてからは、これでいいのか?自己満足になっていないか?悩むことが多かったのですが、いつでも坂下さんに相談すると、常に細かく的確なアドバイスをいただくことができたので、非常に有難かったです。

身を削る想いで、書き起こした文章。発表当日は、予想通り緊張しましたが、会場の皆さんが熱心に耳を傾けてくれている雰囲気がすぐに伝わり、緊張もすぐにとけていきました。

参加された方からの感想や質問も、私の体験を聴いて、今後の現場対応を改善するという内容が多く、少しでも役に立てたことに安心し、本当に嬉しかったです。

実は今回、坂下さんと何度も話をしながら、記憶をたどっていく中で、自分の記憶が完全に塗り替えられているところがありました。

人間の記憶というものはあてにならないなと驚いたのと同時に、数年経った今、改めて思い出して、正しくしっかりと文章に残せたことが良かったなと嬉しくも感じました。

今年息子達の7回忌法要の時期と重なって、このような機会をいただけたのも意味があったのではないかと、今、感じています。

大変ではありましたが、発表させていただくことができて有難かったです。

本当にありがとうございました。