会報 No.55

2005/04/16

こころの扉(会報55号)

平成17年4月
発行 小さないのち

2005年度に向けて

アンケートの報告はまだ残っていますが、今回は少し内容を変えて、当会催しの参加を通して、皆さんのお気持ちやご様子がよくわかるよ うに、少しずつコメントをいただきました。

今後、初めてつどいにぷらっと立ち寄っていただけるのもうれしいですし、インターネットやこの会報も活用していただければと思っております。
今年度はさらに、催しの充実と、会員の生の声をお届けすることを考えてまいります。

会代表 坂下 裕子

大阪のつどいから

私にとって「つどい」は、純平の事だけを考え、思っていられる、大切な時間です。そしてお骨の事や仏壇の事、告知の事など、子供を亡くした親だけにしかわからない辛い事を素直に話せています。

みなさんに相談や話を聞いてもらう事で私も生きていかないといけないかなと、前向きに考えられ、みなさんに会える日を目標にがんばれるような気がします。

話を聞いていると、同じ気持ちの人がいる事がうれしいし、お骨を純平としてずっと一緒にいる私の気持ちをわかってくださる皆さんがいる事や、「私も一緒だよ」と言ってくれたことが本当にうれしかった。

亡くなってから死ぬ事しか考えていなかったけど、つどいで支えられてここまでこれた事を感謝しています。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

家でも、近所でもいつも晃介の母ではあるのですが、近所の友だちや、他の知り合いに晃介の事を話す時はどうしても相手が気を使ったり身構えたりしてしまうので気軽な話はできにくいです。

でもつどいでは、まるで晃介が元気だった頃に、ママ友だちと話していたような雰囲気で、「うちの子は〜」と話ができるし、聞く方もにこにこしながら「うんうん」「うちはねー」等と聞いたり話したりできるので、気持ちが『元気だった頃の晃介のお母さん』にもどれるのです。

つらいことや、悔しいことも、「そうそう」「あるあるー」とお互い共感できるというのもすごく心強くて、ひとりじゃないんだ、と感じられるのもつどいのありがたい所ですし、大阪のつどいに来られる方は、みなさんやさしい雰囲気の方ばかりで、また会いたいなあと思って、いそいそと出かける理由の一つですが、やっぱり、私がつどいを大好きな一番の理由は、寂しい話だけじゃなくて、子どもの楽しいエピソードなんかも自然に言い合えるので、自分が晃介のお母さんであると、楽しい気分で実感できるところです。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

私にとっての「小さないのちのつどい」と言うのは、いつの間にか無くてはならないものになっている気がしています。

初めからそうだったかと言えば決してそうでは無かったと思うのですが、でも何度となく参加させて頂くうちに、自分にとってここは「安全な場所」であり、そして、ここにいる人たちは「安心な人」。そう感じるようになりました。

・・・と同時に「私はずーっと康二郎のお母さんであり続けたいだけ・・・」そう思っている自分に気がつきました。そして「ここでは私も普通に康ちゃんのママなんだぁ〜」と思えるようになって嬉しくもありました。

私の場合はこの「つどい」に参加させて頂くことで色々と気付かされることが沢山あります。

「一般の普通」と「自分の中の普通」とでは若干違っていたりすることもあり辛くなることがあっても、ここでならみんなで「そう、そう、、」と言えたりするのも私にとっては凄く救われる一瞬です。

こうして改めて考えてみると、少し例えはヘンですが、学校でお兄ちゃんの参観や懇談・運動会などがあれば普通に参加しているように私にとって「つどい」とは、私が康二郎のことで参加できる唯一の行事・・・と言う感じでしょうか?

そして、日々いろんな思いを抱えながらも頑張っているみなさんと、たまに会って普段言えないような本音の部分で話が出来る場所があるということは、とてもありがたいことだと思っています。

天国の子どもとのクリスマス から

恒例のプレゼント作りで“先生役”の西岡さんに、まずメッセージをいただきます。「せんせー、うまくできませーん」「わ!失敗しちゃいましたぁ」といつも引っ張りだこです。

 

李菜は1歳で亡くなってしまい、私はなんにもなにもしてあげられなかったので、今更ながらではありますが、今からでもしてあげられることはないか… とずっと考えていました。

以前「つどい」 で、訴訟のことを力をこめて言っているお母さんを見たとき、「あぁこのかたは息子さんのためにがんばっておられるんだ」と思え、子どものために何かをしているということがすごいと思いました。

でもうちはお医者さんに対して向けていくものはないので、やはり何もできずにいたのですが、会のほうから「クリスマスにプレゼト作りができるように協力してもらえますか」と頼まれた時、李菜 のためにできる!と思いました。

この会の方々との出会いは、李菜がいて、李菜を通じてのものだから、会のなかで何かできたら、ひいては李菜のためにできることだと思いました。「お願いします」 と頼まれてしたことですが、私のほうが、李菜のためにできることが嬉しく思いました。

また、参加されたかたが、「子どもが亡くなってからは、つらくてクリスマスをしたことがない」と言うのを聞いて、初めてのことができたら楽になるかも?と思い、自分が役に立てたらと思いました。

そしてプレゼントの作品を仕上げたとき、「ありがとう」と言ってもらえたことは、李菜が褒められたように嬉しかったです。

私はクリスマスが過ぎると辛い時期に入るのですが、「ありがとう」の言葉に楽になれて、こちらのほうが役割をもらっていることをありがたく思っています。

これからも、亡くなった子どものためのプレゼント作りとクリスマス会を、続けていけると嬉しいです。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

私はクリスマスやお正月が大嫌いでした。子供の状態が悪くなり、辛かった時期と重なるし、世間の親子たちの幸せそうな姿についていけない気持ちがあるからです。

今はいない子供のためにツリーを飾るのが虚しくて…。私がつどいのクリスマスのイベントに初めて参加した時(一昨年)は、やろうという気持ちはあったもののまだ辛くてクリスマスを子供のために過ごすことはできませんでした。

でも、昨年のクリスマスではその間の自分の変化に気づき驚くことになりました。皆さんと語り合いながら出来上がった写真たてに、それまでは見る度に悲しい気持ちに襲われた子供の写真を入れてみる事が出来ました。

そしてクリスマスらしい飾りをさがし、お菓子を買って、ささやかなクリスマスコーナーを作り、久しぶりに子供のために行動できたことが嬉しく思いました。

つどいに参加するといつも力をもらいます。話しながら自分の思いを確認したり修正したり、癒される時間だと感じます。

無理して感情を抑える必要もなく、ありのままの私でいられる貴重な場所です。多くの同じ立場のお母さんが、癒され支えあえる会であるように、私も参加者として考えていきたいです。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

命日が近く(27日)二年前は、出席できず。

昨年も、出れないかなあと思っていましたが、坂下さんの自宅ということもあり、参加することができました。惠眞にプレゼントを作れると思うと嬉しくて、作りはじめると、生地を選ぶのも「男の子だから」と言いながら選んだり、写真が見えるところの形も、惠眞はこれだななんて思い。
ケーキもカワイくて、上にのっていたお飾りもローソクももって帰りました。普段の集いと同様でお母さんに戻れる一時です。

日常は、主人と二人の生活なので、惠眞がいた時とは、時間の使い方も食事も生活全てが違っています。

今年は、大好きな黄色のマフラーも編むことができ、クリスマスプレゼントができて、本当にヨカッタです。

27日が三回忌という事もあり、気持ちの波が激しい日々でしたが、クリスマスは惠眞も楽しく元気に過ごしていたので、きっとお空の上からも楽しみにしていたでしょうから…。

東京のつどい から

子どもを亡くした悲しさ、寂しさ、悔しさ、切なさを誰かと共有したいと思っていました。

私の場合、最も近くにいる家族でさえそれは簡単ではありませんでした。年の離れた兄姉に亡くなった弟を思って悲しんでいる姿を見せることはいけないことだと思っていましたから。

必死に涙をこらえ、仕事や趣味に没頭することで寂しさを紛らす日々が続きました。

同じ経験をしたお母さんなら、今の私の気持ちをわかってもらえるのではないかと、夢中で探しました。そして出会えたのが「小さないのち」でした。

はじめて参加したつどいで、私は泣いているだけで自己紹介すらできない状態でした。息子について何一つ話せませんでした。代わりに、一緒に付いて来ていた夫が話してくれましたが、その間中ハンカチで顔をおさえていました。

そんな何も話せず、涙を流すだけだったにもかかわらず心は通じ合えたと感じることができました。一緒に涙を流してくれる仲間がいたからです。

言葉なんかいらないんです。空の上のあの子たちを通して、私たちはつながっていると思えました。一人じゃないんだという安心感がありました。

毎日を普通に生きるだけでも辛い私たちには、冬の寒い時でもあたたかい、日だまりのような場所が必要なんだと感じました。

たまにしか会えない仲間とはそんなほっとできる時間を過ごせたらいいなと思っています。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

私にとってつどいとは、どうしようもない悲しみを背負った親御さん達の心を癒す場所だと思っています。そしてまたそこから少し元気をもらって、次の日から生活するための力をもらえるところ・・・・。

私が10年前に娘を亡くしたとき、喪失体験をした方たちの自助グループに出会うまで1年半程かかりました。

特に最初の一年は、実家も遠く1人目で次の子がいなかったので、主人が出勤するとマンションでたった1人泣きながら過ごす毎日でした・・・だから自分が経験した思いを、他のお母さん達にしてもらいたくない気持ちがとても強くあります。

特に亡くした年は、一人で悲しみを背負わないでほしい。最初の一年は、怒り、哀しみ、嘆き、夫婦関係、残された兄弟のこと、回りの身内や友だちから言われて傷ついたこと、医師への不信など複雑な悲しみが心の中で渦を巻いていると思うのです。

その悲しみの渦をつどいに参加しながら、決して焦らず自分のペースで少しずつ解いていくことができるといいなと思います。

つどいでは、私のように10年経った人、数年の方、亡くした直後の方といろんな方がおられて、それは時としてお話を聞くのが却って辛くなることもあると思います。

でもいろんな方達とお話することで、あと1年したら私もあんなふうに過ごせるようになるのかな・・・。

10年も経ったら、違う悲しみがあるけれどこんなに変われるのかなと、決して今の哀しみがいつまでも続くわけではないのだと自分の心で感じとってもらえればと思います。

つどいは、皆さんそれぞれの悲しみのプロセスを優しく見守り、心に寄り添い、そして同じ悲しみを共有しながらともに歩んでいくことができるところです。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

私にとって「つどい」は葉を知ってもらえる場所です。

葉は2004年10月2日、ウイルス性脳炎による急性脳症で2歳5ヶ月で他界した男の子です。【確かに「菰淵 葉」はこの世に存在した】そのお話をできる場所だと思っています。

普段、独りで葉の笑顔を思い出すと凄まじい孤独感に襲われてボロボロになってしまうのに皆の前だと落ち着いて思い出すことができます。

そして同じようなお友達のお話を伺うことで葉がひとりぼっちではないということも確認できます。

更には一人の親である私自身の悩みや疑問に対しても皆さんのいろいろな意見を伺える場所であり、今の私には本当に強い心の支えになっています。

私は前回東京のつどいに出席しました。お母さんだけでなくお父さんも参加なさっています。実はずっと夫も参加したがっているのですがなかなか仕事の休みの日と重ならず次回も難しいかもしれません。

でもいつか二人揃って参加したいと考えています。

葉は学校はもちろん幼稚園や保育園にも行けませんでした。つどいはある意味PTA活動みたいなものかな、とも思えます。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

今から思えば、よくぞ一人で大阪まで行けたものだと自分でも感心しちゃいます…娘の死を受け入れられず、心のやり場がなく、無我夢中だったのかな。

インターネットとか扱えないので自分の足で同じ体 験をした人を探すしか無かったのです。

この先どう生きて行けばよいのか分からずにいました。とにかく自分の前を歩いている人を探していました。あの大阪のつどいの後に、参加された方と新幹線発車ぎりぎりまで話した事は大切な思い出です。

私の行動が東京でのつどい再開の小さなキッカケになったのなら何より嬉しいです。帰り際に坂下さんから「またお会いしたいです」と声を掛けられて生きる勇気が出たのでした…。

まだ三回程しか参加した事は無いのですが帰り道に思うのは「この悲しみに耐えているのは自分だけではない、私は一人ぼっちではないのだ」と、同じ悲しみを経験した方々にふれあう事で孤独感から救わ れるのです。

どんな悲しみもどんな喜びも自分一人でなく共感してくれる人がいるのは心強いものです。

つどいという場で心の扉を開き、全てを「吐きだし」安心して涙出来る大切な場です。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

去年の4月に大阪のつどいに初めて参加して以来、毎回つどいに参加しています。2月末には風邪をひいて欠席してしまったのですが、その前の週にちょうど東京でつどいに参加できたので、皆勤賞です。

いつのまにか、つどいは私にとってかかせない行事になっていて、日程が決まるとすぐに第一優先の予定として手帳に書き込みます。

普段の生活では、意識しなくても子どもを亡くした痛い気持ちは自分の心の奥底にしまえるようになっていて、時々、何かをきっかけに涙腺がゆるむことはありますが、どうにもならないほど気持ちが乱れることはありません。

周りの人からは「明るくていつも笑っている人」と、思われています。

周りの人に心配をかけちゃいけない、という、気持ちもあるのか、どこか、少し無理して元気にしている自分がいるような気がします。普段の生活をしている自分もそう、いつも少し頑張っているような気がします。

だけど、つどいに出ているときは全く頑張る必要がなく、無理しない自分でいられます。

辛いこと悲しいこと嬉しいこと悩み事、何でも打ち明けられて、その気持ちを皆で共有しあえる大切な場です。

自分で上手く話せなくても、他の方の話を聞いて「私もそう思ってた」と、同じような気持ちの方の話にうなづいて自分の話を聞いてもらえたのと同じようにすっきりすることもよくあります。

辛いのは自分だけじゃないんだと思えることはとても心強いです。2ヶ月おきに会ってゆっくり話ができる人がいること、元気にしてるかなぁと、気にかける人がいること、気にかけてくれる人がいることも、気持ちの支えになってくれています。

大阪でも東京でも、メンバーがかわっても、きっとこういう”つどい効果”は同じなのでしょう。

頑張って心に力を入れたままだと、ふくませすぎた風船のように、パンパンになって割れてしまいそうだからこれからも、つどいに参加して心をゆるゆるにリセットできたらいいなぁと思っています。

掲示板 から

「小さないのち」喪失会員のための、掲示板を担当させて頂いている大澤です。昨年の12月より、掲示板を立ち上げたくさんの方々に参加いただいています。

私自身が、「次の子・・・」などのことで、いろいろな悩みをかかえていましたが、周りに心から相談できる方がいなかったのです。同じような境遇、同じような悩みを持つ、この会の皆様に相談できたらな?そう思い、掲示板の管理を引き受けました。

掲示板を立ち上げるにあたって、最初はどうなっていくのか? 未熟な管理人としては、とても不安でした。

しかし、そんな私の思いとは別にとても良い環境で運営されているように思います。いろいろな思いを吐き出して、頼ったり、共感したり、時には背中を押して・・・など、本当にここで支えあっているな!と、実感しています。

参加できる方は、喪失会員で、きょうだい、の育児や、次の子のことで悩んでいる方に限られますが、たくさんの方の参加をお待ちしています。

また、代表の坂下さんの生の声? 書き込みが見れるのも特典です。私は坂下さんにお会いした事がないので、とても身近に感じられ、嬉しく、いつも前向きな代表に前に向かって生きていく勇気を頂いています。

尚、会員以外の方は参加できませんので安心してご参加ください。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

私にとって「掲示板」は、気軽にふらっと立ち寄れる場所みたいなものでしょうか。とても自由な雰囲気を感じます。自由=無責任ではなく自由=自覚といったニュアンスを含んだ自由さです。

「小さないのち」の「お話しましょう」では、それがうまく機能していると感じます。無くてはならないというと大げさですが、いつでも立ち寄れるので、その「敷居の低さ」がとてもありがたく、細く長く続いてほしい、そう思っています。

立ち寄る人が自由にコメントできる場所は、実はそう多くありません。無条件に受け入れられるということの難しさは、このような会を運営された人であればよくわかると思います。

「小さないのち」の「お話しましょう」は、そういった意味でとてもスムーズに運営というか、流れができているのではないかと感じています。流れを意図的に作ると、参加する側にはとても伝わりやすくなり、運営に支障をきたすことがあります。

「掲示板」というと、顔の見えないもの同士が、無責任に放言するイメージが先行して、あまりいいイメージをもたれていないようですが、この会の掲示板は、大澤さん、坂下さんを中心に、自然な流れができており、これは主催する側の感性によるところも大きいのではないかと思います。

人との出会いは、その人の人生に少なからず影響を持つものであると感じていますが、同じような悩み苦しみを持つ人がいるのであれば、ぜひ「ふらり」と立ち寄ってほしいと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私は、二女が亡くなってから長女のことを充分に愛せなくなってしまいました。悲しみが冷めぬ中でも子育ては、続行されます。悲しみの渦の中にいる私は、二女のことで頭がいっぱいで長女にかまってや ることができていませんでした。

ある日長女からお母さんだけいろんな人に話しを聴いてもらってずるい! 私もすごく悲しいんやで! 小学生でこんな小さな妹を亡くした子なんてめったにいないと思う。私だって話したい。と私に言われました。

悲しいのは、私だけじゃないんだとその時に初めて姉妹としての悲しみに気づいてやることができました。他の方たちは、兄弟についてどのようにされているのだろう?と思いました。

この掲示板で、親である私自身が兄弟について子育てについての悩みを話していくことにより私の何かが変化したのでしょう、長女との関係も少しづつよい方に変化していきました。

掲示板に参加する方たちは皆さん悲しい思いをされたのにとてもまごころをこめて話を聴いてくださいます。

誰の意見を否定するわけでもなく批判するわけでもない相手のことをそっと包み込んでくれる言葉で。この悲しみを経験した人でないと語れない言葉があります。だからこそ癒されるのだと思います。

私は、この掲示板を通じていろんなことを教わり、励まされてきました。自分ひとりではないんだ、皆さん同じ思いでおられるということを知りとても安心しました。私のことをわかってくれている方たちがいるというこの安心感はここで得られたかけがいのないものです。

そして何よりここは、亡くなった二女が私に導いてくれた、皆さんに会わせてくれた大切な場所だと思っています。掲示板を開設していただき本当に感謝しています。

これからもつまづいたりまた悲しみに引き戻されて一人ではどうしようもできなくなることがあるかもしれません。でもその時はまたこの掲示板に来て話を聴いていただこうと思います。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

4番目にしての長男・賢信を失った後、私には非常に気がかりなことがありました。王子様と呼んで、とてもとても賢信を可愛がっていた姉たちでした。煙や湯気を見るだけで斎場を思い出し、 泣いてしまい、一時は本当に悩みました。

その後、私が妊娠をし、それとともに家族にも明るさが増していったのですが、今度は新たな不安が出てきました。新しいいのちを受け止める勇気があるかどうか、私自身とても不安だったのです。5人目というのに、1人目よりもとても子育てに神経質になっていました。

そんな時に掲示板ができました。

そこで悩みをうち明けることで、そういう考えがあるのかとおもったり、勇気づけられたり・・・逆に、自分が書き込むことで、書きながら頭の中の整理ができることもあります。時には自分自身に言い聞かせるように書き込むこともあります。

だけど、何よりも、全く反対の考えのようなことでもみんな根底は同じなんだな・・・ そう私は思うのです。

書き込むときに言葉が思いつかなくて躊躇することもあるのですが、温かく聴いてくれる皆さんに感謝しています。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

小さないのちの掲示板。とても不思議な交流の場です。

どなたのお顔も知らないのに、なんだかお顔が浮かんでくるような。みんな、それぞれ悲しいのに、でも、静かな交流が続いていて…時間制限のない「つどい」。 地域特定のない「つどい」。

本当ならば会うはずのなかった方々と、天国の子どもたちを通じて繋がっています。

悲しいとき、ちょっと辛いとき、思わず覗いてしまいます。

そして、そこに皆さんの息遣いを感じてホッとするんです。

私にとっては、そんなところです

喪失メール交流班 について

この3月に稜の七回忌をすませたのですが、時間がたってもなお語り尽くせないものを心の中に抱えております。

本会の喪失会員の中でも、お住まいの地域や家庭環境によってはつどいや公開講座などへの参加の難しい方、また会合に参加する意欲がまだまだ持てない方など、さまざまな事情を抱えておられる方がおられると思います。

そのような会員はもちろん、昨今急速に充実してきたインターネット環境の中で電子メールを有効に活用したいと思っている方々に、会として会員相互の精神的な援助や親睦を深める目的で3年前に発足したのが喪失メール班です。

今のところメーリングリスト方式はとらず、話をしたくなった時だけ書いてそれを自分の班員全員に同時送信する形をとっています。

自分の近況や心境から、亡くなったお子さんとの思い出、残されたお子さんの子育てなど話題は多岐にわたり、ここ数ヶ月では新しく迎えた命にまつわる話題が多く出ています。

私自身立ち上げの時からの管理者として、また一メンバ−として参加しておりますが、皆様の近況に思いをはせ、また心境に共感し、時には励まし励まされと、このメール班活動は重要な心のよりどころとなっております。

もし皆様の中で、少人数グループ内でのメールだったら気持を書けるかもしれない、忙しいけれどメールだったら参加できそう、どんな様子なのか知りたいという方がおられましたら、是非お問い合わせいただければと思います。

書評:「デューク」江國香織(講談社)

松城 里香

代表の坂下さんから、会報に載せるので書評を書いて下さいとのご依頼を頂きました。

たくさんの本からもらった「こころの栄養」を少しでも【小さないのち】の皆さんにお伝えすることが出来ればうれしいな。と思いお引き受けすることにしました。

 

何にしようかと、ずいぶん迷いましたが、やはりまずは「デューク」でしょうか。

ご存知、江國香織さんの作品です。はじめて出会ったデュークは「つめたいよるに」という本に納められた短編の中のひとつでした。

デュークが死んだ。
私のデュークが死んでしまった。
私は悲しみでいっぱいだった。
…中略…
デュークはもういない。 デュークがいなくなってしまった。

悲しくて、悲しくて、淋しくて…どうしようもなくなった私のもへ、一日だけ、デュークは会いに来てくれます。

「今までずっと、僕は楽しかったよ」
「今までずっと、だよ」
「僕もとても、愛していたよ」

それだけを言うために…。そして、別れを告げるために…。

 

何気なく読み始めた私は、最後の数ページで、デュークと亡くした子どもが重なって涙の渦に巻き込まれてしまいました。

そして、それがデュークの口を借りた息子からのメッセージだったようにも思えて、とても心温まったことを覚えています。

 

今は、講談社から、それだけで独立した一冊の本となって、山本容子さんの画とのコラボで出ています。この本もとてもいいのです。

これを見つけたときは早速手にとってすぐに購入してしまいました。 旅行に出るときなど、よく持っていきます。

てのひらサイズの「私のデューク」にいつでも会えるお気に入りの一冊です。

平成17年4月 発行 小さないのち