失うと一番「困る」もの

2004/07/20

 子どもを失ったことで、さらに失うものってどれくらいあるのだろう…。
子どもの死後、遺族の多くに喪失の連鎖が起こっているのを感じます。二次的な痛手から遺族が守られるようにと、各方面へお願いしています。

 私の場合、
あゆみの次に失ったものは、人間関係でした。
ご近所や友人とのお付き合いがしんどくなり、引きこもってしまたったわけです。
その次に失ったものは家です。
結婚以来ひたすらローンを返し続けた一戸建を、苦しさのあまり売り飛ばしちゃいました。
その次に失ったものは、環境。
引っ越したらちょっとは楽になれるのかと思ったら、これは見当違いで、誰も私たち家族が子どもを亡くして弱りきっていることなどご存じない地での新生活です。前の暮らしのなかにあった人の優しさを知ることとなりました…。
その次に失ったものは、健康。
自分ががんという病に冒されていることを告げられたとき、悲しい以上に、悔しい気持のほうが大きかった。神様にはまるで認められておらず、運からもとことん見放されているんだと思い。
この治療とともに、体から切り離した臓器とその臓器がもつ機能も失います。
当然、仕事も続けてはいけない。失うことに。
あと失うとすると、命なのかな?と思っていたら、命よりずっと手前で、大変なものを失っていることに気づきました。それは、自信。

 さっきまで普通に過ごしていた子どもがあっけなく亡くなるなどすると、なにもかもに自信がもてなくなり、その後の暮らしは大変なものでした。
何年もかかってどうにか「ふつう」の暮らし方がこなせるようになったかと思ったら、こんどは自分が病気に。それも、ぜんぜん気づかないうちに大変なことになっていたのだから、自分の体のことも分からないような者が、ほかのなにも分かるわけないと思え、少しばかし蓄えてた自信なんて、とことん根こそぎもぎ取られてしまいました。

 これまでも、ご遺族の言葉は、子どもの命を守れなかった自分を責めたり卑下したり、自信のなさが色濃く伺えましたが、ほんとうに、自分に自信がもてないということが、生きていく上でもっとも大変なことだと思えます。
失ってしまった「自信」というのは、簡単に回復できるものでなく、言葉かけなどまるで意味を成さないですが、それでも少しずつ、点を2つ3つとつなぐようにして紡いだ小さな自信を糧に、遺族も普通の暮らしに戻っていけるように思います。

 近頃の私は、ご遺族への応対も、自分の自信のなさからとても心もとないものですが、一緒に点・点・点を見つけていければと思うのです。
いまのままを認められる1つを一緒に見つけ、いまのままでも必ずできる1つを一緒に見つけたら、次にできそうな1つをまた一緒に見つけて、、、そうしたら次は一人で見つけたりされているからスゴイと思います。