沖縄の人々

2006/07/05

 沖縄は私にとって特別なところです。
3年前、手術や抗がん剤が終わったころ
命はつながったものの、生きていく方法がわからないような心境に陥り
母から、退院したら沖縄に行ってみない?と言われました。
沖縄は、母にとって特別なところだったのです。
女学生時代、同じ年頃の女子学生たちが大勢、沖縄戦で無念の死を迎えた話を
私は幼いころから聞いて私は育ちました。

 退院してまだ足元がふらついているときによく行けたなと思います。
空港に着いて、抜けるような空の高さと青さを見たとき
きっとここで力がもらえる気が既にしていました。
もちろんひめゆりの塔に一番最初に行き、
いま打ち込んでいる「いのちを考える」取り組みにつながっています。

 今回お招きいただいた講座では、家族ケアや悲嘆の援助の話などさせてもらったほか
地元のご遺族とお話しをする時間をたくさん設けてもらうことができました。
驚いたのは、東京で行うつどいでも、大阪で行うつどいでも、ほとんど地域性は感じられないのですが、沖縄もそうだということです。
弔い方、祀り方にはとても特色があるのですが、
子どもを失った父母の口から出る言葉や、感情は、「本土」の人たちとまったく同じです。
時代の流れと受け取るべきかとも感じたのですが、
たぶん悲嘆は、地域性や風習を越えたものなのではないかと感じます。

 沖縄は遺骨を長く家の中に置きません。でもNちゃんのママが
「どうしてもお骨を手放せなくて親戚をぜんぶ敵に回すかたちになったけれど、主人が私の気持をわかってくれるから、やっていけそうです」
と言ってくれた言葉に救われました。