シドロモドロになったわけ

2007/02/26

 質問をしたかたはインターネットをされないので、ここで弁解しても仕方がないのですが居合わせた人が何人もいたので、本当はあった「続き」の話しをしたいと思います。
きょう、わかちあいの「つどい」をしました。
終わってまだ座っているとき、不意に尋ねられて動揺することとなりました。

Q:坂下さんにとって“大事なもの”はなんですか?
私:モチロン!この会です。
Q:家族よりですか。
私:えええ?そういう次元なら、1番は自分、2番が家族、3番に会です。
Q:私は家族を犠牲にされてるんじゃないかなと思ってました。ご主人はどう言われてますか?あゆみちゃんのお兄ちゃんは?
私:(ここからちょっとシドロモドロで)えー、んー、私はね、「つどい」で自分からは上の子のことは話さないんですね。それと、ご遺族にお子さんは何人ですか?とか、ごきょうだいをどうされていますか?ということ、自分からは尋ねないんですね。それは、んー、あのー(なんて言ったら説明つくかなぁと考えていると)
Q:あ、聞いてはいけないことでしたか?
私:そんなことはないです。何を聞かれてもいいんですが、、、

 このあと話したことは、
あゆみの突然の死はあまりの衝撃で、当時はきょうだいの世話もできなかったこと、夫はそんな姿を知るだけに私がしたいこと(運営)には協力的なこと、いまは普通に母親をしていることを話した上で、
私はきょうだい育児より何より、まずは自分だと思っていること、自分を知ってこそ家族やお世話だろうし、実際そうにしか成り立たないだろうしと、あくまで個人的な見地をお話ししました。

 思い返すと今でもキュンとなるほど死別後の育児は大変でした…。
  お兄ちゃんのためにも元気になってね。
  泣いてたら、お兄ちゃん見てるよ。
  いつまでも亡くなった子のことを考えていたらお兄ちゃんが心配するよ。
人と会うのがこわくなるほど、息子のことを気遣う(?)親切が降り注いでいました。
そうして私はくたびれていったわけです。
だから亡くなった子と向き合うこういう会―それは自分とじっくりと向き合う場、を創ったのだと言えるかもしれない。

 と、ここまでのところをうまく説明できなかった理由が、実はあります。過去の私を聞かれたからではないのです。
どんな最低点の育児でも、子どもが一人いた(いてくれた)ことによります。
望んで望んでようやく産まれてきてくれた唯一人のお子さんを亡くされて、もう家に子どもの姿がないかたや、再びもう授かることがなかったかたが何人もおられるなかで、息子を引き合いに出す励ましに対する愚痴もふくめ、「つどい」では言えない… という思いがあります。
そしてさらに本当の理由は、
そういう気の回し方自体が失礼で傲慢な考えによるものではないのだろうか、という戸惑いがあるからです。