二重から一重にかわる

2007/04/07

 子どもの死後、再び大きな悲しみに包まれるのは、
さまざまなことがフラッシュバックするような一周忌前と、
その子のいない誕生日だということが、
会員どうしの対話のなかでよく話題になります。
けれどもあるお母さんは、
「子どもが亡くなってからの年月が、その子が生きた年月を超えるときが
さらに苦しいということを知った」とおっしゃいました。
苦悩はひしひしと伝わってくるものでした。

 私自身は、この苦境を通っていないように思えます。
私の子は1才とわずかで亡くなったので、
時期的にちょうど一周忌を越える荒波のさなか。
大波に呑まれたまま、あの子の命の長さも越してしまいました。
いま思えば、苦しみを分けて、別個にかみしめておくべきだった
という気さえします。遺族の道程で大切な節目ですから。

 「1年目がもっとも苦しいと思う」
と日の浅いご遺族にお話しすることがあります。
2年目からは楽になるということではなく、
子どもを亡くした1年は非常に厳しい状況に置かれるので、
そこを乗り切った人は必ず2年目以降を生きることができると感じるからです。
それと、1年目は苦しいだけでなくびっくりさせられることが多いのです。
現代の日本で子どもが死ぬということ、それが我が子だった
ということが最大の衝撃ですが、
そのあとも、周囲の反応、節目節目の思わぬ感情など、
まだ起こるの?こんな自分がいたの?と、
大抵の人を予期せぬ衝撃が次々襲います。

 2年目以降も、悲しみの量は変わらないかもしれないし、
さらなる苦しみに襲われることだってあるかと思います。
でも、明らかに違っていることがあると思います。
それは、びっくりすることや信じられないことだって「ある」「起こる」
ということを1年間で知ったということだと思います。
いわば1年目は、びっくりとしんどさで二重打撃だったのが、
2年目以降は1枚はずれ、しんどさだけ引き受けていけるのではないでしょうか。
しんどいものはしんどいですが、
でも、「あの1年」を生き、あの1年を知った人は
どんな人生も生きていけるし、よく生きていける。
そう確信します。