1年間だけ生きる目的

2008/12/13

生後間もない赤ちゃんを失われ
わずか5ヶ月という日の浅い母さんをお訪ねし
たくさんお話しを聴かせていただいた。

ちょっと長居をし過ぎたので、
おいとましなくちゃと、こたつから足を抜いてからも
赤ちゃんのお写真がかわいくてしかたないし、
お母さんのお話しがほんとうに素敵だし、
帰路に着くのが名残惜しくてまだ話をしていると、
「寿命って、あると思いますか?」と、不意に尋ねられた。

ずーっと前の自分の姿が浮かんだ。
このくらいの時期、同じことを家に来ていたお坊さんに尋ねたことがある。
お坊さんは、いろんな言葉と知識を駆使して話をしてくれたのに、私は、
でも悲しすぎる。とか
だからって、なんで私の子が、と
理解などできなかった。
そんな私が、、、

いのちの価値は、長さではないのだと教えられても
私にはどうしても、短すぎることがたまりませんでした。
どんな生き方でもいい。ただずっといてほしかったから。
定められた寿命って、あるのか、ないのか、今もわからないけれど
思うようになったのは、
どの人も、生まれてくるには目的があるのではないか、ということ。
私の家系は長寿で、
みんな長い間生きて、いろんなことをしました。
だからその人が何のために生きたのかが、わかりやすいんです。
なのにあゆみだけが、たった1年。
なんであゆみだけ… とずっと思ってきたけれど
この「1年」に、あゆみの目的がこめられていたのかもしれない。
だとしたら、それは何なのだろう。
ぜったい、あったと思うし、思いたい。
そしてぜったい、知りたい。
そう思うと、
あゆみの目的を知るために、私は生きていけばいいと考えられるようになりました。
きっと、自分が生きている間のどこかで、
それは最後の最後かもしれないけれど、
あゆみが生まれてきた、目的と、その意味が、わかるときがあると
確信するようになりました。
きっと、私ならわかると思います。
私はあゆみの母親だから。

そんなこと、口走ってしまった。
お母さん、あぜんとしたかもしれない…
まだ日も浅いのに、聴いてくれてありがとう。
あなたと話せたから、気づくことできました。
無意識のうちに自分のなかに組み立てていたことを。