悲しんだ人は、繊細で、やさしい。

2009/06/15

「小さないのち」のような会を、セルフヘルプグループという。
セルフヘルプグループとは、当事者で成り立っている会で、
ボランティアグループとは、まったくちがう。

私がセルフヘルプにこだわってきたのは、
本人のもつ力や可能性に、絶大な信頼をおいているからだ。
弱っているなら、弱っているなりに、である。
むしろ、弱さから生まれ出るもの、
弱さから転換されていくものに期待するところが、大きい。

ただ、素人集団でもあるので、
こういう会の運営者は、研修をよく受ける。
この土日も、一泊研修だった。

その帰り道、視覚障害の会の、年配の男性と一緒になった。
大阪駅の工事が続き、「構内がわかりにくい」と言われていたので、
じゃあご案内します。と申し出た。
「あー、助かります」と、私の腕を持たれたので、ドキッとした。
研修会場では、誰かの腕につかまって歩く姿を、2日間見ていたのに、
自分にとって初めての経験だったので、緊張が走った。

どこかに落ちたことなんて、あるんですか?と尋ねると、
「ええ、線路にも落ちました」って・・・
杖だけを頼りに、実際はとても危険なのだと知る。
この方のように、中途障害で、目が見えなくなった人は、とくに。

ふと、Sちゃんのお母さんを思い出した。
Sちゃんは、脳腫瘍の手術をして亡くなった。
手術が成功したなら、この子は目が見えなくなると告知されていたので、
Sちゃんが亡くなったあと、しばらく経ってお母さんは、
視覚障害者のお出かけのガイドをする資格をとった。

人と並んで歩くことは、慣れるまでむずかしい。
手を引く相手が、どこにもぶつからないように気をつけると、
Sちゃんのお母さんが、ガードレールや、電柱に、ぶつかり、
結局は、目が見えていないはずの人に、誘導してもらっていた。
という話もあった。

手を引いてくれる人を気遣う気持ちが、手を通して伝わってきて、
人の思いやりの深さに、傷ついていた心が
少しずつ、少しずつ、癒されていったように思う
という話もあった。

前にも書いたが、私のニガテは、時間が読めないこと。
いっつも時間が足りなくなって、家の階段を駆け下りながら、
そして駅の階段を駆け上りながら、
Sちゃんのお母さんの、この言葉を、よく思い出している。

「目が見えないかたは、時間をとても大切にされるんです。
目の見える私たちは、ぎりぎりになっても、走れば間に合うという考えから
時間は自分の自由にできるもの。という思い込みがありますよね、
でも、時間は、自由にできるものではないんです。
目の見えない方は、それがよくわかっているから、
待ち合わせをしたら、いつも私が待たせてしまう。
目が見えることで、傲慢に生きてきた自分に気づきました。」

きょう、Sちゃんのお母さんと同じようなことを、
ほんの少しだけ体験したことで、
ずっと前に聞いたお話しが、次々と蘇った。

大きな悲しみを知った人の、感じ取るちからの豊かさに、
深く感銘を受けた日のことを思い起こした。