ダウンしたなりい〜

2009/07/22

ずっと休みがなかったまま、3連休を迎えた。
普通はここで休息するのだろうけれど、私は休日こそが、過密。
連休1日目は、ふらふらと約束を終え、
連休2日目は、午前に事故遺族の「つどい」で、午後は病死遺族の「つどい」。
私はつどいが大すきだから、自分がどれくらいくたばっているのかなど
わからなくなってしまう。

つどいは終わっても、いつも居座っていて、
それで自分では満足し、家路についたものの、
帰り着いた頃、体に力が入らなくなっていた。
山かけの、山いもが、すれなかった。

つづいて連休3日目は、朝から後遺症会員の「つどい」。
這うようにして行ったにもかかわらず、終わってから、
とても気になった一人のお母さんと、1時間以上立ち話しし、
夕方からは授業に出て、ここでようやく気がついた。
また襲われてしまった!
膀胱炎・・・。

きょうは、とうとう起き上がれなくなってしまった。
こうなるまで、ワカラナイというのが、これも発達の遅れだろうか。

前回のことがよみがえる。
あれは、1年数ヶ月前。同じことが横浜で起こってしまった。
横浜で行った「つどい」の日まで、ずっと休みがなく、
体に力が入らなくなってきたと思ったら、
午前中の、後遺症会員のつどいの途中で血尿が出て、止まらなくなった〜!

午後の遺族会員のつどいとの間で、病院を探して、ころがりこみ、
午後のつどいに戻り、夜の新幹線で、瀕死の状態で帰ってきたのだった。
もし病院に行かなかったら、新幹線の車体をかきむしっていたのではないか、
と思え、ぞっとしたものだった。
それにしても、何があろうと、つどいは最後まで居残る図太さ。

土曜日の午後だったのに、診てくれるクリニックがあったことに
運のよさと、「私のために、開けててくれてありがとう!」みたいに
絶大な感謝をしたのだった。
治療としては、検尿と、お薬を4日分出してもらうだけで、
きょうも、近所の病院に行き、同じようにしてもらった。
ところが、きょうの支払いは、1,550円だった。
横浜では、クリニックと薬局が別だったけれど、合わせて4500円くらい払った。

どうして3倍もちがうんだろうと、
1年以上も経って、初めて思ったけれど、
あのときは、地獄に仏で、先生に握手しそうなほど喜んで帰ったのだから、
今さら、お金のことを考えるのはやめよう。
間違いなく、救ってもらったのだし。
病気は、人を無抵抗にさせる一方で、どこまでも素直にさせるなーと、
思わないでもないけれど。

追記
ちょっと元気になってきたので、補足。
「こんなになるまで、ワカラナイとは」で思い出した!
ダイキが生まれた日、
私は、自分は便秘で苦しんでいるのだと、ずーっと思い込んでいた。
実際、便秘でもあったのだけれど、
その痛さは、ほかでもない。
そう、陣痛だった。
産婦人科(←所在地は他県)に、便秘で痛すぎると電話したら、
アンタ、何をしてるの!すぐ来なさい!!
と言われた時には、すでに遅しで、
ダンナは慌てふためき、車に乗せようとするも
私は二階から降りることさえできなくなっていた。
どうにか車に乗り込むや、
生まれるうううう〜〜〜
と叫び続け、
あとは、もう惨憺たるもの・・・
嗚呼、オソロシや。
私の性格。