かまわないよ、だいじょうぶ。と語りかけてくれる社会を求め

2009/08/13

子どもを失った親が言う、「かなしい」を
ネガティブなものとして捉えず、言っていいことと、してほしい。
と書いたが、かなしい言葉に限らず、
思っていることを、思うように表現すればいい。
同じことを何度繰り返して言うのも、いい。
といった、大らかな理解があれば、ということを言いたかった。

多くの遺族は、当分の間、ほかの人たちと同じような行動が、とれない。
それまでできていたことでも、できなくなっている。
無理すれば、こなすことはできるのだけれど、
そのあと、どっぷりと疲れてしまう。
だから自信がもてない状態が続く。
人目も気になる。けれども、
「かまわないよ」「だいじょうぶ」という、大らかな理解が感じられたとき
どれほど暮らしやすくなるか、
暮らしやすさというのは、苦しい中ほどよくわかる、心地よさなのだ。

大らかな理解は、
いま、しんどい人や、弱っている人、
人とちがう面をもっている人(少数者)が、共通して安心を得る。
だから、遺族に限ったことではない。
高齢者も安心できるだろうし、
健康な人だって、心地いいに決まってる。

しばらく新聞を開けなかったので、まとめて目を通した。
8月10日朝日新聞朝刊に、長崎の原爆の日の記事があった。
前日のテレビでは、被爆者の話を、深夜まで食い入るように見た。
新聞にも、体験談が載っている。
実相を伝えようと、病気をおして証言に立った人の言葉がある。

その記事の最後、私は、目がテンになった。
麻生首相が、記念式典のあいさつを読み間違えたことで、終わっている。
そのまま文末を引用すると、
≪だが、「一命をとりとめた方も、癒すことのできない傷跡を
残すこととなられました」と述べる際、
「傷跡」を「きずあと」ではなく、「しょうせき」と読んだ。≫

だから??? ただの告げ口?悪口?いやみ?
私はべつに麻生さんの支持者ではないし
総理大臣ともなれば、読み間違いは、よくないと思うけれど、
わざわざ新聞に書き立てるべきことだろうか・・・。
被爆者や遺族に対して、失礼なことを言ったのなら、叩けばいいけれど。

うまくいかなくても、かまわないよ。
そのままで、だいじょうぶ。
って、語りかけてくれるような社会は
こんなとげとげしい空気がたちこめている中では、
実現がむずかしいと思う。