それさえ言わなきゃ、深イイ話だったのに、にまたもや遭遇。

2009/12/16

鷲田氏「たしなみ」の、3つめのポイントが
まだ残っているのだけれど、とても大事な要点なので、
またゆっくり書かせていただくことにし、
先に、私がまた元気を吸い取られていった話。

前に、紙芝居シュギョーに行く!と張り切っていた、講座を受けた。
張り切って早起きし、興味ありそうな知人らも引っ張って行き、
前のほうに席をとり、メモをとることにも余念がなかった。

ある著名な絵本作家の講演を中心とするもので、
お話の大半は素晴らしいものだった。
特に、絵本と紙芝居のちがいと、それぞれ固有の特性については
まさに目からうろこで、まったくそうだと思えた。
ところが、たった1つ、えっ?と思ってから、
なんだか、え、え?と思うようになり、
落ち込んでいった、というか、私は元気がなくなっていった。

講師の先生は、元々絵本作家として、紙芝居を低く見ていたらしく
紙芝居を書く仕事は断っていたそうだが、
その魅力を知ってから、紙芝居作家になったという。
ところが、だ。
「自転車で紙芝居をしていた人たちの紙芝居は、紙芝居ではありません。
あの人たちと私たちとは根本的に違います。」
といった話に及ぶと、私には、なぜそう言い切り、
そこを強調するのか、理解できなかった。
  
   “あの人たち”は、あめを売ることだけを目的にする人。
   子どものことなど何も考えない人。

すべてが、そうだったのだろうか。
今この時代を生きる人間が、どうして、そう言い切れるだろう・・・。
あめを売ることを生業とする必要に迫られた時代、だっただろう。
子どもからお金を受け取り、紙芝居を上演する という
そこには子どもなりの納得というものがあり、
両者の間では、金銭を巡る取引は成立していたのではないだろうか。

また、お金のことを言うならば
紙芝居の文化的・社会的地位を高めていった大人が、皆、
子どもたちのために無償で奉仕してきただろうか。
この講座も有料であり、講師は講演料をもらっているだろう。
作家は、原稿料も印税も、もらっているだろう。
そんな、ムキにならなくていいようなことにまで考えを巡らせて私は
気持ちがしぼんでいった・・・。 かわいい絵を目にしながら。

実際の紙芝居屋さんと出くわしたことがないため
家に帰って、夫に尋ねてみた。夫が言うには、

   んー、いい人やったけどなあ。
   来るのを楽しみにしてたわ。
   お金は、なんか、工面して持って行ってたなあ。
   でも、お金持って来てない子にも、見せてくれてたで。
   近所の公園に来てた紙芝居のおっちゃんは、
   お金持ってない子は、あっち行け、みたいなこと、言わなかった。

内容はあまり覚えていないらしい。
実態については、この程度の手がかりしかないのだけれど、
私たちは、あの人たちは、と区別して、根拠を明らかにしなくとも
先生が声を大にしておっしゃりたいところの
紙芝居のもつ文化的価値は、十分に伝わってきていたと思う。

そして、これに続くもう一つの話で、私はすっかり元気をなくしてしまった・・・。
次回につづく。