あゆみと同い年の子たち

2012/02/11

いのちの授業、今も、依頼があれば出向く。
きょうは、かなりのどかな地方まで足を伸ばした。
以前行った中学校の先生が、何年かぶりに、再び招いてくださった。
私の話が心に残ったと言ってくださり、嬉しかった。

会場となるホールに踏み入れたとき
あれ?いすがない・・ 土足の床なのに。
ここに体育すわりで座ると聞き、
いくら中学生でも、嫌がるのではないか、と思うと
文句を言う子など、いないのだという。

次に、マイクの調子が悪いようで
マイクなしでいいですか?と尋ねられる。
私は、声の大きさには自信があるが、
1学年がホールに入り、端まで届くか、と考えると
自信がなく、思案していると
「それは大丈夫です」とおっしゃる。
内心、大丈夫じゃないでしょう、と思う。

果たして。
入場して来た子ども達は、見るからに素直な感じで、
自分でも、話ながら驚いたことに、声が隅まで届いているのが分る。
あゆみの誕生、本物の「親子」になっていったプロセス、そして別れ
悲しみの淵でさまざまな出会いを重ね、現在に至るまで
いのちを見つめた軌跡を話し終えたとき
こんなにも身動きもせず聴き入ってくれる中学校があるのだと、驚いた。
おそらく、いままでいった何百校の中で、一番よく聴いてくれたと思う。

終わったあと、一人の先生が教えてくれた。
「あの子たち、あゆみちゃんと同じ年に生まれたんです」。
えっ・・・
あとで聞いてよかったように思う。
先に聞いていたら、どんな風に動揺しただろ。

わが家は、毎年、この時期、気分が沈む。
あゆみが倒れ、間もなく脳死に入り、奇跡を祈りつつも、
死を待つようなときにあった時期。
気持ちを奮い立たせて出かけて行ったが、
なんとも満たされて戻って来た。

こういうプレゼント、ときどきもらえる幸せを噛みしめる。