亡くなった子の親ほど 親ばかはいない

2012/12/04

子どもを亡くした人は、
みんな思っているのではないだろうか。
こんなことになるんだったら
「もっと 自由に したいだけ させてあげれば良かった」と
それが遊びであったり、冒険であったり、いろんなことで。

私には
美味しいものを、もっといっぱい食べさせてあげたらよかった
という思いがある。

それでも一度だけ、
あゆみは「とんでもないもの」を食べさせてもらっている。
ちょっと預けている間に
母が、ビスケットをやっていたのだ。
2センチくらいの、サカナの形をしており、
片面は、白やピンクや黄色で甘〜くコーティングされていた。

私が部屋に入ったとき、あゆみは、
最後の1つを、親指と人差し指で、慎重につまみ
口へと運ぶところだった。

大きく開けた口に、指ごとほおばり
5本しか生えていない前歯で、噛み砕く。
未知の味だったのだろう。
笑顔には程遠い真剣そのものの面持ち。
こんなに美味しいものが、この世にはあることを
発見した瞬間であった。

私は、みとれていたが、
いけない、いけない!
母は目を離したら、何をするか分からない!
こんな小さいううちに、こんな甘いもの食べさせて!
看過できない、あってはならないこと。
私が母をにらみつけると、
ぺろりと舌を出していた。

最後の1つを堪能したあゆみは
母に向かい、
今さっき美味しいモノを摘んだ親指と、人差し指を、母に向け、
あー うー(もっと ちょうだい)と、せがむ。
母、私から視線を反らせ、あゆみの前に3つ置いた。

あゆみは、またゆっくりと親指と人差し指を立て
ほんの小さなビスケットを上手に挟む。
口まで運ぶと、指ごと口に入れ、ほおばり、
真剣な面持ちで砕く。

なくなったらまたせがむのか、と思っていたら
もう遊びへと戻っていった。
この子は、わかっているのだ。
あとの3つは、余分に、無理にもらった分で
もうおしまい。
これ以上言ったらだめ。と

実はこのとき、私は感動した。
大したものだと思った。
きっとあの子は、主張はしても、聞き分けのいい子
だったんじゃないかなあ、と
いま改めて思う。

亡くなった子の親ほど、親ばかはいないかもしれない。

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