「遺族」をも超える「ご遺族」

2012/12/29

亡くなった人の家族のことを、遺族というが
子どもを亡くした親の多くは
この言葉に違和感を覚えているように思う。

その理由として、
言葉に古いイメージがあることや、
あの子は死んではいない、という拒絶感があること
などが考えられるが、加えてもう一つ
ずっと親であることに、変わりないのに
「遺族」という別の称号を与えられることによって
立場や関係性が替えられるような感覚
を覚えるからではないだろうか。

私も当初、そうで、「遺族」という言葉を
口にすることがなかった。けれども
会の運営をするようになると
団体名や、自分の立場を、端的に示す必要に迫られ
「こども遺族の会 小さないのち」と所属を示し
「私自身も子どもの遺族です」と立場を明らかにするようになった。

けれど、多くの当事者が持っている
違和感、拒否感、やるせなさ を忘れたわけではない。
言葉、特に名詞は、
ミスマッチに気づいていても、代用できるものがなければ
有るものを使わざるを得ない。

ところが
「気づいていない」ことが、あることを知った。
ある遺族会の代表者のブログに
「ご遺族」という言葉がいや と綴られている。
その理由が、これまで思い描いたことのない
想像を越えたところにあった。

ご(御)を付ける丁寧さに、小馬鹿にされているような気がし、
「私は遺族ではない。あなたは遺族ですよね?」
という確認にも聞える のだという。

言葉って、思う以上に幅が広く
当事者性というのも、相当に広い。

そのように感じる人が、いる ということと
常に自分の考えの及ばないところに、ひとの感覚が存在している
ということを、忘れないようにしたいと思った。

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