幼い妹が理解した姉の病気

2015/10/16

ご遺族と会ったり、話したりしたことを、口外できないため
日記にかけることは、めったにないのだけれど、
Sちゃんと家族のことは、新聞にも書かせてもらったり、
公表OKなので、少しだけ。

久しぶりに、おうちを訪問したら、ほんとうに運が良く、
妹ちゃんが、昼で帰ってきた。
普段はアルバイトが忙しく、家にいることがないのに
文化祭ということで。

久しぶり〜 何年ぶりやろね。
と話しながら、ちょっと席を外したときに
ママに、きいてみた。
「きいてもいいかな?Sちゃんのこと」
ぜんぜん大丈夫、とママが言ってくれたので
直接尋ねた。

私がずっと気になっていたことは
お姉ちゃんが亡くなったことを、どう思っていたか、だ。

予想どうりの答えだった。
「お姉ちゃんは、私のせいで死んだと思った」

Sちゃんは、妹ちゃんが、ふざけて突き飛ばしたときに
ころんで、そのまま意識を失っていた。
偶然にも、ころんだときに病気を発症というのか、
発覚する瞬間が重なったのだった。

小学校低学年だった妹ちゃんは、
小さな胸に、何を抱えて、どのくらい過ごしたのだろう。

すると、意外にも、早い段階で
病気のことが理解できたという。

病気の発見が遅く、あっという間に亡くなったので
当時、お母さんも理解ができていなかった。
だからお母さんは、診療記録を貸し出してもらい
その病気に詳しい先生を、ほうぼう訪ねて歩いた。

そのとき、まだ小さかった妹ちゃんを
留守番させずに、連れて行っていたのだ。
妹ちゃんは、医師と母親が話す、その横で
母親の表情や反応を見つめていた。

難しい話の内容は、わからなかっただろう。
けれども、母の疑問が解けていくのに伴い
妹ちゃんの理解は進んでいったらしい。

お姉ちゃんが亡くなったのは、むずかしい病気だった。
病気になっていたことに、誰も気づいていなかった。
気づいてから、手を尽くしても、助けることができなかった。

そういうことが、子どもの頭で、わかることが
とても大事だ。

子どもは、情報の外側に置いてはいけない。
子どもだからこそ、親の様子や「場」から
その子なりに感じ取る機会を
取り上げてはいけない、と再認識した。