亡き子の友人のために

2016/04/21

死別の悲しみを、ずっともっている
という話が出た。
私の授業では、そういう話をしてくれる人がいる。

若い女性だから、お父さんかお母さんをまず連想するが
同級生だった。
力になれなかったと、強く自責する人は、
ほんとうに優しい。

さらに胸を打ったのは
亡くなった女の子の、お母さんがとっている行動だった。

便箋と封筒を用意していて
お参りに来てくれる友人に
亡くなった子に手紙を書いてくれるように、頼むのだという。

亡くなった子は、どうやってその手紙を読むのだろう。
お母さんが代読してあげるのではないだろうか。

手紙を読むお母さん、つらくないだろうか。
つらくないはずがない。
涙しながら読んでいるにちがいない。

けれど、そんなに優しい友人たちに恵まれたことに
有り難いような気持ちのほうが上回るかもしれない。
これまでに書かれた手紙は、仏前に置かれているらしい。

この手紙は、亡くなった子のためだけでなく、
お母さんのためでもあるだろうが、さらにそれだけでなく、
書いた人、つまり友人のためでもあると思った。

書く人も、きっと泣きながら書いていると思う。
泣きながら、蘇ってくるさまざまな思い出と向き合い
そのかけがえのない相手が、もう今はいない現実とも向き合い
打ちのめされるような思いもするだろう。

しかし、それが死を受け入れていく作業の1つでもあり
このつらい作業は、なかなか自ら取り組めないものだが
ご家族の、しかも最もつらい思いをしている人の求めであれば
引き受けるだろうし、心をこめて真剣に書くだろう。

お母さんは
娘さんのことも、娘さんの友だちのことも
ずっと考えているのだと思う。