テレビの中と記憶の中のつらい事件

2016/08/27

若手俳優の、ホテル従業員に対する卑劣な行動が
連日報道されている。

そのなかで、被害者女性について
40才台なのに
という言い方を、誰もしていないことが
よかった、というか
言われるんじゃないか、と危惧した自分に気付く。

あるキャスターが
一人の女性の人生をくるわせたと言える
と表現したことも、そのとおりだろうと思った。

その人にとってつらいことを、「つらいこと」
とてもつらいことを、「とてもつらいこと」
とそのまま、そのとおり受け取ることを、
いつも私は願うんだなあと、実感する。

時期を同じくして
小学校の教頭から、卑劣な行為を受けて、苦しみ続けている
という30才台の女性が、
80才台になっている元教頭に、訴えを起こした
という記事を目にした。

もしこれが事実だったとしたら、許せない
と一般的に思われるのではないだろうか?

「もし事実だったら」と前置きされる社会に向けて
つらさを打ち明けることが難しいから
言えないまま、抱えて暮らす元小学生は
どれくらいいるだろう?と思った。

その訴えは事実だと思う。
私の身にも起きたから。

私は高校生のときだった。
年配の国語の教師だった。
進路指導の延長線上で、お悩み聴きます部屋を開設していた。

自律訓練法という手法を用いた。 
目を閉じさせ
「体が温かくなってきた 眠くなってきた 眠い 眠い 眠い」
とささやかれ
私、コレなに?と思ったが
私のために時間を割き、親身になって貰っているのだから
「かかった」ことにしておかないと、
と気を遣った。

すると触ってきた。

かかっていることにしている。
だから動けない(ことになっている)

もっと触ってきた。

かかっていることは、もうやめて、部屋を出た。

母にも、誰にも、言えなかった。
だって母のことで悩んでいたから。進路をめぐり。

何事もなかったように、その男の現代国語を受け続け
大学という別の世界に紛れ込んでいったが
その後も持ち続けた、不信、悲しさ、悔しさは
消えてなくなることはない。

あんな部屋へ、のこのこ出かけて行った
自分に対する腹立たしさ、自責も。

年齢に関係なく、つらいこと。