あゆみのぶんは、あゆみだけのぶん

2016/11/21

お子さんを亡くされたお母さんから
つらい話を聴いて、つらくなってしまわないですか?
と尋ねられ、
「わたし、絶対ならないんです」
と即答したこと、ほかの人から???と思われたかも。

ああいう即答のしかた
自分でもへんやと、あとで思った。

でも、よく同じことを尋ねられ
何回も答えているから、即答してしまうようになってしまった。

わたし、ぜったいに、人の話でつらくなってしまうことはない

その人がつらいことを、本当につらいこととして、
身に迫る話のように聴いているのだけれど
自分がつらくなってしまうことは、ぜったいにないと
なぜ言い切れるのか、私には理由がある。

「あゆみちゃんのぶんも、いっぱい楽しんで」
みたいな励ましを、よく言われた時期があり
意味がわからない、というか、へんな言葉だと私は思った。

講演などに行って、感想を言ってくれたり、書いてくれたりしても
「あゆみちゃんのぶんも、元気で生きようと思いました」
みたいに言ってくれると
首かしげながらお礼を言うしかなかったり。

あゆみのぶんは、あゆみだけのぶんや、と思った。
もっと言えば
あゆみのぶんまで、あげるなんて言ってないよ。
死んだからって、取らんとってほしいなあ。

こんなこと真に受けて考える私、偏屈やと思う。
でも、逆に言うと
うちのあゆみのぶんまで、背負わなくていいんだよ
君は、君を、君らしく生きたらいい
とも言いたい。

というわけで
〇〇ちゃんが亡くなって、すごくつらい話を、
私は気持ちで理解し、全身で感じるけれど
だからといって、
〇〇ちゃんのぶんは、〇〇ちゃんのぶん
大事な大事な〇〇ちゃんだけのぶん

取り込んでごっちゃには、ならないんです。