子どもの窮地に一緒にいる

2016/12/03

このところ「小さないのち」の会員さんの中で
交流講座の運営に関わっているメンバーと
集中治療室などでの、子どもの急変時の「立ち会い」
について議論を重ねている。
通常、「ご両親は外へ!」と出されることについて。

これをきっかけに、私、急に思い出した。
ダイキの手術に立ち会った日のこと。

ダイキが小学校低学年のころ、上あごから歯が出てきて
近所の歯医者さんでは手に負えないらしく
歯科大病院で、抜き取るための手術を受けた。

その日、私は、時間どおりに連れて行く係
と思い込んでいた。
先生にダイキを引き渡し、「よろしくお願いします」
と挨拶して終わり、と思っていたら、
先生から思いがけない言葉をかけられた。
「よかったらお母さん、中で見られますか?」

えーーー
そんなところに入っていいの?
そんなもの、見せていいの?
そして
やったあ!と思った。

子どもの手術はどのように行うのか
見られるなんて、めったにないチャンス。
この先生、自信あるんだあ、とも思った。

私は、以前、できる限り親の意向に沿って
見せれる場面は見せたほうがいい、と提言し
治療のガイドラインにも書かせてもらったことがある。
第一の理由は
あとの説明で知ることよりも、実際を見ることで
理解も、信頼も、安心も、増すからで、
必ずしも近くで見る必要などなく、離れた同じ空間で
「あのように皆さんが懸命に治療にあたってくれている」
と確信することや
心の中でもいいから、がんばれ!と子どもに向けて
強い祈りを送ることも、親にとって意味があり
助からなかったときには、よりその価値を増すということを
多くの遺族の言葉から感じて来ているからだ。

話を戻して、ダイキの手術では
私は、からきしダメだった。
外科はムリムリ。
手術室とはハードル高すぎ。

手術室に入ってからの説明は、食い入るように聞いた。
麻酔がかけられ、
上あごにメスが入るところまでは、何事もなく、
切られた上あごを、めくった時だ
瞬時に、吐きそうになり
内側が見えたとき、気が遠のきそうになり
壁まで後ずさりして、隅にあった椅子にへたりこんだ。

「もう親は入れない」
と後の人のためにも、思われないように
最後までおとなしく、固まっているので精一杯。

でも、入っていいですよ、と許可してもらって
やっぱり無理です、と引き下がるぶんには
親都合なので、いいと思う。

よくわからないまま出されることを
「病院都合だ」と親が思い込んでいるところを
何とか距離を縮めたいよね、と
例のメンバーで話し合っている。