なんとしても助けてもらいたい思いから

2016/12/13

担当した子どもが亡くなった時
主治医の先生が、親もしくはきょうだい児に、
「ごめんなさい」と言ってくれた、という経験
私にはないが、私の場合
患者であるあゆみが、言ってもらったような気がしている。

言葉が聞こえたわけではないが
もう助からないとなったとき
主治医が、あゆみの傍に座って、何か話しかけているような
そういう後姿を見た。

そのとき、「助けてあげられなくて、ごめん」
と言っていると、勝手に解釈し、
その光景を、とても快く思っていた。

親の中には
「ごめんなさいって、あなた失敗したんですか!」
と誤解する人が、いないとも言い切れないが、
まともな親だったら、そんな曲解しないと思う。

それと同様に、
私が出会った人たちのなかに
救急で運び込んだときに、
「助けます!」と言ってくれたことが、何より嬉しかった
と言う遺族がいる。

そういう強い思いを持って治療にあたってくれたことが
良かったし、納得や折り合いの材料にできる
ということだと思う。

ところが、
助けると言ったのに、助けられなかったのは、約束違反だ
という人も、世の中にはいるように聞く。

本音でものを言えなくするのが
ワケがわからなすぎる親たちなのかもしれないし、
そういうことを、素人の理解度に委ねるだけでなく
「わかりにくい」「見えにくい」医療の改善が、今後必要
ということなのかもしれない。