会報 No.63
2006/08/15こころの扉(会報63号)
平成18年8月
発行 小さないのち
2006年6月18日、兵庫生と死を考える会の月例会にお招きいただき お話しした内容を会報用に加筆修正してお届けします。
悲しみの先に見えてきたもの
小さないのち 坂下 裕子
【はじめに】
私のタイトルにある「悲しみ」が、貴会の年間テーマ「いのちの輝き」につながるような話になればいいのですが、まずは自己紹介からさせていただきます。
小さないのちは、1999年に急性脳症の患者家族会として発足しましたが、現在は、なくなった子どもの家族は病名に関わらず在籍します。私自身も、8年前に1歳になったばかりの長女を突然のようにうしないました。病名は急性脳症。いまの医学では治療が難しいと言われました。
私はこの死がどうしても納得できませんでした。救急車に乗ってから病院が見つからず、経由した医療機関では「大したことはない」と見なされ、治療が受けられるまでに4時間半かかりました。
そうして後で周囲からかけられた言葉は「病気なら仕方なかったと思うよ」という慰め。慰め励ましてくれる人々が周囲にいながらも、私は孤独に落ちていきました。でも、この孤独の経験がなければ、「当事者の会」作りの発想もなかったでしょう。
【大切な人、子をなくすということ】
私の日常は、ご遺族と出会い、じっくりとお話 しを聴かせていただく環境にあります。悲しみの種類はおそらく遺族の数だけ存在しますが、いくつも共通点があることが分かってきました。
大切な人をなくした人に共通する様相としては、
①誕生日や思い出の日が近づくにつれつらくなる
②社会生活や対人関係が苦痛になる
③今まで普通にできていたことが難しく感じられる
④記憶力や判断力が著しく低下したと感じる
⑤家族でも悲しみの表現が違う
⑥自分に自信がもてなくなる
⑦時間が経っても悲しみが深まる一方に思える
⑧気持ちが和らぐことさえ苦痛に思える
など、これらの感覚がある程度の期間続いたり、見え隠れしたりしています。
なくなったのが幼い子や赤ちゃんであればさらに、
①もともと自分の力で生きることができない存在だった
②母親と密着していた
③なくなるのがまれである
④夫婦の世代が若い
⑤きょうだいも幼い
⑥生きたほうの歳月が短い
⑦過去が短いぶん将来ばかりだった(これは二重に失う感覚を伴う その子+未来の計画)
⑧直接の社会とのつながりが薄い(これは二度失う感覚を伴う その子+周囲の記憶)
などの特徴が見られます。
誰をなくした人が一番つらいか?ではなく、子どもには子どもの特徴があり、なくなる上でその特徴はより顕著になるかのようです。一番の特徴は、親が子どもを取り込んで生きていたことかもしれません。
【生きづらさ】
遺族の苦しみの始まりは、「その子」がいなくなったことですが、死別の先にはいくつも悩みが連なります。
あの病院でよかったのだろうか?と今さらながら迷い、もっと他に治療法はなかったのだろうか?と今さらながら考え、もっと早くに異変に気づいていたらと悔やんだり、子どもの死であれば夫婦の感情が行き違い、そこに姑が加わるとさらに複雑になり、一部始終を見ている幼いきょうだいに影響が及び、親の気を引く行動に出てみたりいい子でいなければと顔色を伺っていたり。
そうして親は、はたと気付いたように、自分は家族の前で泣いてはいけない、嘆くのもよくないと思いこんで悲しみを封じ込めてしまう。というような構図が描かれるのは珍しくありません。
さらに外では、人様には元気そうな姿を見せなければどんな励ましをかけられるか怖い、という流れも普通です。
でも、とってもしんどい相手は、身内や他人以上に自分自身なのかもしれないと、ふと感じたりもします。自分という人物とどう共に生きていくか、これはとても大きな課題です。
【本心はどこに】
「この苦しみはあとどれくらい続くのだろう・・・」。日の浅いご遺族は、おびえるようにつぶやかれます。ところが少し年月が過ぎると、必ずおっしゃいます。「以前のように悲しめなくなったのが不安」と。何が不安なのかというと、あの子を自分が遠ざけてしまったのではないか?ということです。
こういう正反対の感情はまだ意味が分かりやすいのですが、短いサイクルでころころおっしゃることが替わる場合、どこにうなずけばいいのか難しく、私は会を作ってから何年も戸惑うばかりでした。
遺族というのはとにかく矛盾が多く、矛盾していて当たり前なのだ、と考えることにしました。そう解釈することで、こちらの気持ちの均衡を図ろうとしました。でも、「矛盾」という解釈はどうも収まりどころが悪く、マイナスイメージのまま無理に押し込めようとしている感覚です。
そうしたなか、遺族だけでなく末期のがん患者さんのお話しを聴く機会が増えてきました。
「私はもう長くないわ」と言っている方が、「元気になったら一緒に演奏しようね」と言ってくれたり、これが最後だろうと思われる演奏の前にフォーマルなドレスを新調して、「いいもの買っておくと長く使えるから」と言ったり、私は目を丸くして不自然にうなずくばかりでした。
【両義性ということば】
あるとき、これだ!と思う言葉に巡り会います―「両義性」。恥ずかしながら私はこの日本語を知りませんでした。
逆向きのベクトルが同時に作用するような事態1)、あるいはAでもあり非Aでもある。Aでもなく非Aでもないという、二面を包含し、交融させている状況2)を言います。
両義性の概念を知って以来、私はたじろがなくなりました。昨日言ってたことと今日言ってることが違っても、どっちがほんとなの?と思わなくなったからです。
どっちも本当だからです。どっちも本心で同じように意味をもつわけです。昨日と今日でなくても、いま同時にあっても不思議はありません。
考えてみると、遺族や末期の患者さんに限らず、普通に「生きる」ということ自体に両義性は含まれます。また、「生きづらさ」の要因は、遺族の内側よりも、むしろ社会のなかに多くひそんでいることに気づきます。
遺族という立場になって初めてつぶさに見えてきただけで、苦労知らずだった頃には、「生きづらさ」をもつ人々の環境は、見ようにも見えなかったんですね。
【わかちあいの魅力】
私たちの会は「わかちあいのつどい」というピアカウンセリングを重視します。初めて参加されたご遺族が、「同じ体験をして同じ気持ちでいる人と出会えて嬉しい。同じ体験をした人だから分かってくれる」と喜んでくださると、運営者としては嬉しいですが、でもここで私はあまり大きくうなずけません。
なぜなら次の展開がすぐそこに待ち受けているからです。次には必ず「ちがい」が見えます。似ているだけだったのです。2つとして「おなじ」はなく、体験も、背景も、感じ方も、「それぞれ」であるのが現実です。
わかちあいの本当の価値はここからだと思います。どの遺族会でもわかちあいを行う前に約束が交わされます。「話している人の言葉を最後まで聴きましょう」「反論はもちろん意見も差し控えましょう」等のルールが参加者を守ります。
そのうち、私はとても大きなことに気づきました。何度か参加されている方々は、べつにルールに縛られてでなく、ごく自然にそういう配慮に立ってくださっているのです。深い悲しみを携えている方々がです。
自分の悲しみに押しつぶされそうな方が、同じように傷ついてきた仲間を気づかい守ろうとする心の働きに、私もまた大きく救われてきました。
【よく聴きうなずいてくれる】
とにかく気持ちをよく聴いてくれます。いま話せない心境の方に話すよう促すことはもちろんないのですが、言いたくても込み上げて言葉が詰まっても、話しているうちに収集つかなくなって途切れても、耳を傾け続けてくれます。誰も沈黙を破りません。
この静寂は緊迫したものになるときがありますが、「無言」もストーリーの一部として聴いてくれているかのようです。沈黙のなかでも「わかるよ」という共感、あるいは「もっとわかりたい」という願いが立ちこめるとき、私は本当にありがたくて幸せな気持ちに浸ります。
うなずくというのは、考えが同じであるときには普通にできるでしょう。ちょっとおかしいかな?と感じてもうなずいてくれるというのは、そういう事態に今ある相手の「状況」を理解してくれているのです。
遺族という立場は、感じ方、考えが何度も変化しますから、流動的な部分で判断することなく、違いも含めて存在そのものを受け入れてくれることが最もありがたいのです。受容という言葉がありますが、聞いたことはあっても、体感できる機会はそうないはずです。
私が「わかちあい」が大好きな理由はこのあたりにあります。
【悲しみの中に見えたもの】
遺族はみんな、悲しい話をし、悲しい気持ちを語ります。世間ではあまりこれを良しとしません。「いつまでも悲しんでいたら身体によくないよ」と止めたり、「泣いてたら亡くなった子が悲しむよ」と一方的に励ましたりします。
人が悲しむ姿はつらいと思う心には、やはり「見たくない」という感情も存在します。不適切に励ましてしまう心には、力になり得ている自分を感じたい感情も存在します。
無意識のうちにもそうした聞き手側本位の感情が動いている事が少なくないため、遺族当事者は振り回されかねないのですが、好意に起因するものには背きにくいという点がつらいところなんです。
ずっと思っていたのですが、私にはご遺族の悲しい話はとても心地いいんです。美しく尊く思えるほどです。語って身体に悪いなんてぜんぜん思えない。それが何故なのか、ようやく最近分かりました。
大きな辞書なら大抵載っているのですが、「かなしい」を引くと[愛しい]とあり、[みにしみていとおしい。かわいくてたまらない]3)とちゃんと書いてあります。
遺族の悲しい言葉は愛を語っているんです。愛ならいくら語ってもいいし、共に生きていくほうがいいわけです。だから私はご遺族に、悲しい気持ちは抑えずどんどん表現してください!と話します。
【死が隠された時代】
そうした尊い話は、私が聴くだけではもったいないです。だから私は子ども達がいる教室へ運ぶようになりました。きっかけは、私が書いた本を読んだ先生が授業の依頼をしてこられたことに始まり、これまでにたくさんの学校を訪問しました。
授業のあとに子ども達が書いてくれる作文には素敵な言葉がたくさん出てきます。例えば、
『おとうさんおかあさんに ずっと元気でいてほしい だからタバコをやめてください』(2年生)や、
『いのちは大切だ いのちが大切だということは 失わずにその価値に気づかなければいけない』(5年生)など。
ところが世間一般にですが、学校は特に死が扱いにくい場所です。いろいろ調べたいきさつは本日は省略しますが、誕生はいいが死の話題は避けたいとか、明るい・元気・前向き・積極的などを大きく評価する価値観があります。
立ち止ったり、振り返ることなく「前進あるのみ」にならないだろうかと心配です。悩む・考え込むということは、人間の成長に非常に役立つことなので。
今の時代が見失いかけていることに気づかせ、大事なことに立ち戻らせてくれるのは、遺族たちがもつ文化性ではないかと感じています。生きていく上で何が一番大事なのか、大事なものはどこにあるのかを、見えるものだけでなく目には見えないものも含めてよく知る人たちだからです。
時間はかかりそうですが、「遺族文化」というものが着目されるよう努力していきます。
【悲しみの先に見えるもの】
話を戻しますが、悲しみの中に見えたのは愛でした。ご遺族たちの愛に満ちた言葉を聴き続けて、だんだん愛の先にあるものも見えてきました。
それは「意味」だと思います。後悔や自分を責める気持ち、時には怒りに覆われる感情の隙間から、「もしも」が聞かれるようになると、色んな物語が語られるようになります。
「もしかしたら・・・かもしれない」と、生前には明らかにならなかったストーリーがつながったり、「もしも・・・できたら」と、なくなった人に実際には経験させてあげられなかったストーリーが生まれたり。「きっと・・・にちがいない」と語られるようになれば、これはあたかも1つの新しい体験です。いまはもういない大切なその人と味わう体験です。
(この号では紙面の都合で実例を割愛しますが、いずれご紹介したいと思います)
人間とは何を求める生き物なんでしょうか。それは「意味」だと書いてある文献がたくさんあります。
そして、愛する人をうしなった人間は、何事もなく生きている人間と比較にならないほど、ものを考える力や「意味づける」能力を伸ばしているのも明らかです。
人間にとって、「理由」以上に大事なのが「意味」ではないかと感じます。
これまでどなたも、最愛のお子さんがなくなった「理由(わけ)」は見つけておられませんが、どんなに短い命であっても産まれてくれた意味、自分を親と選んでやって来てくれた意味のほうは、ほとんどの方が遅くとも数年のうちに獲得されています。
この話の始まりは、「納得できなかった」ことからですが、患者が医療に求めているのは納得です。医療は、満足以上に納得が大事。人が人生に求めるものも納得ではないでしょうか。
「意味」の先に、まだ見えてくるものがあるとしたら、「納得」なのではないかと、最近感じ始めています。
私自身、これまでに身の上に起こったことで、納得ができたこともあるし、まだできていないこともありますが、急がなくなりました。何がとっても困ることで、何はどうでもいいことかが分かってきたからです。
【振り返ったところにきっと】
最後に、本日ぜひお話ししたいことがあります。実は私、貴会が運営されている「ゆりの会」(遺族のわかちあい)に、1度だけ参加させていただいたことがあります。
ちょうど3年前、大きな手術を終え、抗がん剤治療が続いているためにまだ入院していた時期でした。席上言った言葉を覚えています。
「何をどんなに努力しても、私はどこまでも認められない人間なんですね… 神様はいるのでしょうか?いるとしたら、もう捨てられた思いです」
高木シスターは、私の気持ちを認める以外に何もおっしゃいませんでした。きっと何か言われても理解することはできなかっただろうと思います。
そうしてわかちあいは終わり、大きな階段を下りて玄関で靴を履いたとき、追うようにシスターが下りて来られました。
「答えはあなたが歩いた道を振り返ったところにきっと」
そうひと言だけ言われ、玄関を一緒に出て見送ってくださいました。振り返ると、手を振ってくださった。
これが私にとって生涯の「教え」となりました。それから後、大事なとき私は、姿が見えなくなるまで人を見送るようにしています。
何もできなくてごめんなさい
いくらかでも振り返れるぶん
あなたがあなたの足で歩いてくださることを祈ります
必ず見えてくるものがあると
あなたを信じています そういう思いをもって見送ります。
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1) 鯨岡峻「保育を支える発達心理学」ミルネヴァ書房、2001年
2) 哲学思想事典 岩波書店
3) 広辞苑 岩波書店