会報 No.65

2007/05/27

こころの扉(会報65号)

平成18年12月
発行 小さないのち

子どもの名前と存在に関するアンケート

結果報告(1)
代表 坂下 裕子

はじめに

アンケートは、会員のみなさん100名に発送し71名の方に回答して頂くことがで きました。ご協力ありがとうございました。

記述欄からは、抜粋して紹介することも考えたのですが、しみじみと語ってくださる 様子が浮かび、すべてご覧いただくことにしました。

中には、ご自身と逆を思わせる ような内容もあるかと思いますが、亡くされて数ヶ月の方から10年以上になる方ま でおられますので、違いというよりも、そこに歳月を感じていただいたり、それぞれ の想いを大切に受け止めていただけるとありがたく存じます。

 

1.なくなった子どものことや、名前を、口にしにくい雰囲気が周囲1)にありますか。

とてもある9人  ある17人  少しある16人  あまりない16人  ない12人

 

―記述欄から―

  • 家族や身内以外語ることはないので意識していないが、新しい環境のなかで亡くなった我が子のことを口にする気にならない。
  • 子どもを亡くした当時は子どもに関する話題はタブーでした。私が家内以外に子どものことを話したのは「小さないのち」の人が初めてです。
  • 家のなかでは[あまりない]です。親類のなかでは[少しある]、その他では[とてもある]。
  • どこまでの周囲だろうか?と考え始めると、だんだん気持ちがしぼんでしまいました。
  • 周囲も私に気を遣ってか、あまりRのことは口に出さないし、私もまだつらいので自ら進んで話さない。
  • 今現在は「ない」ですが、亡くなって3年くらいは「ある」でした。
  • マイナスな話は聞きたくないと言われたことがある。
  • 亡くなったばかりのころは、娘の名前を口にすることじたい辛かったが、友人からのアドバイスで無理する必要はないと考えを変えました。
  • 周囲の人には「そういう話のときどう対応していいかわからないので戸惑う」という気持ちはあると思う。
  • 下の子にはいつも話している。義父母や他の人にはあまり話さない。夫には時々(夫の気持ちが沈むことがあるので話題を選びながら)。
  • 言うことによって相手がどう対応したらいいのか困るんじゃないかと思うと、言えない。
  • 当初は私が思いつめていたためか、「亡くなった子のことばかり考えていては」と言われ、少し安定したら言えるかというと、今さら言えない雰囲気で、亡くした悲しさと理解が得られない悲しさが二重にあった。
  • 本当に分かってくれる人はなかなかいないし、聞いてほしくても場の空気が変わるから口にしにくい。
  • 周囲の人とはどの程度のことをいうのか?ごく親しい人に限られており、特にない。
  • 身内のなかではありません。私自身どちらかというと口にすることが普通だからです。
  • Kを知っている人たちの間ではあまりないが、新しく知り合う人にはもうなかなか話せなくなっている。話した途端、空気が変わり気を遣わせるのが分かるから。
  • 家族の一員として、皆ご飯をあげたり、お菓子を半分にしたり、写真に語りかけたりしている。亡くなって5年たつが、今もYの名前があたりまえのように会話に出てくる。
  • この頃ようやく自分でも、まわりの目を気にせず娘の話をすることができるようになりました。
  • 親しい間柄の中ではありません。人によってはある場合があります。
  • 以前は主人に話すと気まずい雰囲気になり、お互いつらい気持ちが強すぎて話しにくかった。今は少しずつ話せるようになり、初めて主人の気持ちに気づき主人もつらかったんだなあと思った。
  • 実母や知人には話しにくい。
  • 職場−とてもある。子どものいない友人−少しある。子どものいる友人−とてもある。家族−ない。
  • 今生活しているなかで、私は感じたことがありません。(妻はわかりません。少しあるかもしれません)
  • 「触れないことがよい」と思われている気がします。もしくは「そんなつらい話は聞きたくない」と思うからなのか・・・ 新生児だったので、周囲からは「残念だった」と言われます。
    流産・死産したと同様に受け止められている気がします。親の気持ちとしては「確かに生まれ、家族となった」ので「家族を失った」という気持ちなのですが。
  • 自分がその雰囲気を作っているのかもしれませんが…
  • Mが亡くなったあと生まれた3番目の子が重い障害をもっていて、子どものことで大変な思いをしている方がたくさんいて、理解してもらえていると思う。
  • 自分の家、実家では普通に話をしますが、それ以外の場所ではほとんど口にできません。月日が経てば経つほど口にできない雰囲気が強くなっていくように思います。
    設問を上の娘が見てたのですが、ぼそっと、「私も”とてもある”やな」と言っていました。娘も娘の世界で同じように感じているようです。
  • 下の子の幼稚園のお友だちが遊びに来て、長男の写真と位牌を見て、「この子誰?」とか「何で死んだの?」と聞いてくる。
    その子の親も言いにくそうに・・・ ・8年目を過ごす今、当初のように「名前を口にすることで何か聞かれたらどうしよう」とか、「その後のことが怖くて」などということはあまりなくなった気はするのですが、今ではKのことをほんとうに知らない人もたくさんいるわけで、周囲の雰囲気というより自分自身が少し遠慮してしまう感じです。
  • 人によって気をつかうことがある。
  • 同じマンション内に、息子が亡くなったことを知らない人がいる。主人が息子の話をしたがらない。
  • 家族は毎日話しているが、他の人に話すと話を反らされたりすることもある。
  • アロマ教室で先生が「ぜひ家でもやってみてください」とのことでした。次行くと、感想を言う順番が回ってきたのですが、「お子さんはどう言ってましたか?」と先生に言われ、どう答えてよいのか分からなかった。こういうことはどう切り抜けたらいいのでしょうか。
  • 名前を口にすると涙が溢れそうで、話せないというより、話さないのかもしれません。
  • 相手によって話す、話さないを分けているような気がします。
  • 但し夫にはある。
  • 特に勤め先の中である。
  • 身内や親しい友人などの前では、いつもUの話をしていますが、Uが亡くなったことを知らない人には、やはり口にしにくい部分や、相手の反応を気にしてしまう。
  • 家の中や実家では、Mの名前が絶えないくらい、「Mが〜言ってるよ」みたいな会話だらけです。友だちや今の職場の人たちもMの話をしても引いたりせず、一緒に盛り上がってくれます。幸せです。
  • 基本的に、身内やMのことをよく知っている人との間では、日常の会話として普通に話しています。でも友人でもMのことをあまり知らない人は話題にしないし、こちらもあえて名前を出すことはしません。
  • 弟の保育所のクラスの子ども・保護者の前では、弟がJのことをふつうに話すので、実際はいないのに、いろいろ尋ねられても、相手を見ながら話しますが、最近は特に話しづらくなりました。

 

2.なくなった子どものことを、周囲の「理解ある」人に語りたい思いがありますか。

とてもある24人  ある27人  少しある15人  あまりない5人  ない0人

 

―記述欄から―

  • 10年前はかなり強く思ったが、今は自分をよく理解してくれる人だけにわかってもらえたらそれでよい。
  • いまはない。当時はあった。
  • 子どものことを話す機会があるとは夢にも思いませんでした。
  • 語ることで、普段は意識しないなにか心にひっかかっているようなことを改めて考え直すことができるように思います。
    一方、思い出すことで再び精神的に辛くなったり、思い出さなくてもいいようなこと(他人から言われて不快だったことなど)まで思い出したりするのが怖いようにも思います。
  • 同じような体験をした人であれば、自分を分かってもらえると思うので、話してみたいとは思う。
  • 亡くなってすぐには「誰にでも」聞いてほしかった。今はその「理解ある」人はたくさんいなくてもいいし、「理解ある」人が自分のなかで決まっている。
  • 今でもTは生きているし、周囲の人にもTの存在を忘れないでほしいと思う。
  • 理解ある人とは、娘と関わった人だと思う。娘のことを覚えていて声をかけられるようであれば話したい。
  • 私の場合は主人が話し相手になってくれるので助かっています。でも姉や子供のことをよく知っている友人とは少し話しにくいです。話したいけれど…。
  • 理解ある人(遺族以外)に話せる機会は少ないと思います。どうしても周囲の人には過ぎてゆく事実なのかも。家のなかで十分語れるとよいのですが。私はとにかくもっともっと話したい時期です。
  • 自問自答している段階で、まだ人に話せるような状況に至っていないような気が自分ではしています。
  • 子どもの一人として話をしたいですが亡くなった子どもへの想いは自分でもうまく話すことができません。
  • あります。話したいです。でも、精神的にパニックになり出かけられません。
  • 取り立ててこれを話したいというのではなく、普段の生活の中で感じる様々なことを口に出して言いたい。生きていたら今頃○○だったとか、○○が好きだったとか。
  • 日の浅いうちほど、話を聴いてほしい思いが大きくあったが、相手のいろんな反応をくぐり抜けてきて、だんだん他人には話さなくなった。 家族では毎日ごく自然に会話に乗せている。
  • でも言葉が詰まって出てこない気がする。
  • 亡くなって年月が経つと、他の人にとっては昔のことになっているので、語りたくてもだんだん語れなくなっています。
  • 当会に出会う前は話すことを避けていた。自分自身で整理をつけてしまっていた。今は自ら話す場ができ、会員の話も聞ける。
  • 節目の時にそんな気持ちになります。
  • 「理解ある」人には話したい気持ちがあるが、いざとなるとうまく話せず、もどかしい思いになる。
  • あまりそのような機会はないが、時には語り、悲しい思いを言葉にしたい。
  • ふだん聞いてくれる人はいるので、特別に語りたいという強い思いはないです。
  • 聞いてくれる人がいるとうれしく思う。現在は転居しているのでほとんど機会に恵まれていない。
  • 自然に普段から話が出来るようになったので、今は特に機会を設けなくても平気になりましたが、以前は押入れの中に頭を突っ込んで一人しゃべっていたことがありました。
  • 我が子が確かに存在したということを忘れられないためにも、語りたい気持ちがあります。
  • おかげさまで理解あるかたが何人かいてくださるので、いつでも話すことができます。メールという便利なものがあり、文明の発達にも感謝しています。
  • お話を聴いてもらえる(同情でなく対等に)人をつい探してしまいます。「口に出しても大丈夫かなあ」といつもアンテナを張り巡らせています。
  • 自分でも何を語りたいのかよく分からないのですが、あります。子どもの事を認めてもらいたいのかもしれません。
  • 語りたいときがある一方、話しても子どもが戻ってこない寂しさから、あえて話す機会を遠ざけている自分がいる。
  • 子どもを亡くして同じようなつらい思いをしている方と語りあいたいと思うことはあります。
  • 「理解ある人」がいればいくらでも語りたいです。でも残念ながらそういう人は見つかりません。この人なら大丈夫かな、という人にでも返って気をつかわせてしまうかもしれないなどと思うと、やっぱり。
  • 人は心の中に思うことを誰かに話し、それを「そうだね」と受け止めてもらっただけで心は安定し、悩みの半分は解決したようなものだと聞きました。それは信頼する一人でよく、多数でなくて良いそうです。
  • 突然亡くなることが起こる様子や、気持ちなど。
  • 亡くなった子どものことを話して、思いを共有してほしい、分かってほしいという気持ちはあります。
  • なかなかいない。同じ体験をした人ともゆっくり話をしてみたい。
  • いつでもKのことは、いっぱいいっぱい話したい気持ちはありますが、反面、私が話すKのことは、きっと同じ話の繰り返しになってしまうんだろうなーと思うと、寂しくなるので。幸い私には「小さないのち」で出会えた方がいます。「つどい」があります。今はそれでいいと思っています。
  • カウンセリングなどで話すことで神経性胃炎、胃けいれんを繰り返してきたと思う。(ちがうという人もいるのだが)今までの経験からすると、私の場合、話さないほうが良いのかもと思ったりする。
  • 私にとって「理解ある人」=「同じ思いをした人」ですが、思いのままに語るというよりは、考えながら語ってしまうところがあります。
  • Rの一番仲良しだったママとよく話す。
  • Uのことでうなづいてもらえたり、泣いてくれる人がいるだけで十分です。
  • Uのことをいつでも聞いてくれる人が近くにほしいです。
  • Mは5ヶ月しか生きられませんでした。生きた時間が短い分、出会った人も知っている人も少ないので、宝物のMのことを知ってほしいんでしょうね。理解ある人にはつい写真を見せてしゃべっちゃいます。それと、「子どもさんは?」って聞かれることが多いのですが、「いません」ということが、何よりつらく言えないです。
  • 一番の理解者は主人です。2人の間では元気だった頃のこと、病気のこと、亡くなってからの「もしMが生きていたら、、、」という空想の話、色々なことを話します。
  • Jの存在を忘れてほしくないので、話をしたいのですが、最近は「いのちの会」のみなさんと母親だけになってきています。Jと同じクラスの親に会っても話せなくなってきました。

3.なくなった子どもの思い出や記憶が薄れることへの不安を感じることがありますか。

とてもある29人  ある14人  少しある16人  あまりない5人  ない6人

 

―記述欄から―

  • 子どもはいつも私を見守ってくれていると思うので、私が悲しんで思い出ばかり引きずるのは娘に対してもよいことではないと思う。
  • 実際には一緒に生活していないので記憶が薄れることはありません。夢での記憶ははっきり残っています。いまいる娘を見てふと思い出したり身近な子どもたちを見ると考えたりします。
  • Nがいなくなって5年以上たちます。
    以前のように、自分の意志とは関係なく、Nの元気な姿や病気で辛そうにしている場面がスライドをパチパチと切り替えるように蘇ってくる現象や、Nの記憶が生々しく思い出されるようなことはなくなりました。
    この5年のあいだに、次女が生まれ、Nの年を超えると、Nと次女の姿が重なることもなくなってしまいました。
    また、以前は、保育園でNのお友達を見るたびに、「Nもこの子たちくらいに大きくなっていたはずなのに」と落ち込んでいましたが、そのお友達も3年前に卒園し、今は小学3年生。
    外で見かけても、すいぶん大きくなった彼ら彼女らからNのことを想像することはできません。今でも毎日お経をあげ、食事やおやつもお供えしていますが、育児と家事と仕事でいっぱい、いっぱいの生活なので、Nのことを思い出して精神的に苦しくなることを無意識に避けているのだと思います。
    記憶が生々しいのは辛いですが、薄れていることは寂しく感じます。「これでいいんだろうか」とふと疑問に思うことがあります。
  • 自分の中でも忘れてしまっていることに気づき、悲しくなります。
  • 体の重さや声など、生々しい記憶はどんどん薄れていて悲しく思う。
  • 時間が経つにつれて、子どもの声やしぐさ、重さを忘れてしまいそうで淋しい気がする。
  • 父親を亡くした友人に、「忘れたくないけど忘れてくるよ」と言われたことがあり、そのときにTの事忘れないよう、ノートに書いてました。
  • 特に9ヶ月という短い時しか一緒にいられなかった、お誕生日も祝ってあげられなかったので、記憶が薄らいでいるのも事実。
  • 辛くてビデオを見ることができず、声を思い出せなかったりする。Tのことは忘れたことはないが、出来事とかはすべて思い出すことが出来ず、どんどん薄れていってしまったらと不安になる。
  • 薄れるわけがないと思っていたが、年数と共に薄れ寂しい思いがしている。言葉が話せていれば声を覚えやすかっただろうか?とか、もう少し大きく育っていれば性格がはっきりしてもっと記憶に留めやすかったのだろうか?など最近よく考える。
  • 毎日忘れることはありません。
  • 記憶が薄れることは人間としてどうしようもない。コンピューターではないのだから。そこを責める必要はない。だが頭の中から消え去ることはないはずだ。
    わが子の写真を見たとき、大好きな玩具を見たとき、後から後から思い出があふれてくる。
  • 時間の流れとともに、ある面では仕方がないことと思います。
  • どんどん思い出になっていくのは悲しい。時々夢の中で会うことができる。その夢での再会が新しい思い出だと思うようにしている。
  • 当時のメールの内容を読んで、「こんなことがあったんだー」と思うことがある。ということは忘れていたということ… 残しておきたいです。思い出も記憶もずっと。
  • 最近、療育などに忙しいので、その分ふと寂しく思う。
  • いつも一緒にいて、私と同じ行動を楽しんでいるように思えて、不安はありません。
  • これ以上増えていくことのない思い出。一瞬一秒たりとも忘れたくありません。
  • 以前はそれがこわくて、たまらなかった。でもあるとき、ふと写真のMのほうから見ているときとか、何かのきっかけにより思い出させてくれたり、夢に出てきてくれるので、助かっています。そんなときに、ああ忘れていないのだなと安心したりします。
  • 亡くなった直後は(家族以外の人に覚えておいてほしい思い)強かったですが、今は大分「心のなかにいる」と思えるようになった。
  • しゃんと立って社会的な生活をしている自分と、娘への思慕の想いをあふれさせている自分と、TPOに合わせて切り替えが出来るようになった故に、不安になったりします。
  • 長女が最近「Cちゃんのことだんだん想い出せなくなっていやだ」と、よく泣きます。
  • 亡くしてまだ7ヶ月なので、まだ記憶は鮮明にあります。記憶が薄れることがイメージできないのですが、もし、顔や泣き声を鮮明に思い出せなくなったらと思うと、寂しくてなりません。
    同時にいまは、壮絶な治療の辛い記憶も生々しく残っています。その記憶が自分を苦しめることがとても多く、穏やかに思い起こせる日が来るのだろうか、と不安に思うこともいつまでも覚えておきたいが、いつも思い出して考えていたら、それもまた悲しいだけのような気もする。(絶対に忘れたくないが)あります。
  • 不安というか、ただ寂しさを感じます。時間とともに、すぐ目の前にあり鮮明であった娘の面影に薄くぼんやりもやがかかった感じです。どなたも感じておられると思いますし、記憶とはそうであり悲しく思えますが、時の経過と共にまた違った子どもへの思い、考え方ができることもあるように思います。
  • Mの思い出と下の子の思い出とごちゃごちゃになり、時々主人や私の両親と、あれ?どっちだったかな、と思い返すことがあります。
  • とても不安を感じて、3年前にカルテをいただきました。その時に本当にMのかけらが帰ってきたようで、とても嬉しく思いました。でも日々の生活をしていると、新しい記憶が増えていくたびに、その分何かの記憶がなくなってしまうような気がします。
    そのなくしてしまった何かの記憶がMのものだったらどうしようと思うと、とても怖くていてもたってもいられないような気になります。
    今回このアンケートの最初にMのフルネームを書いたとき、あまりにも久しぶりだったので、手がふるえてしまいました。
    こんなに長い間気づかないうちに私の生活の中からどんどんMがこぼれていってしまっているような気がします。
    毎日毎日Mのことは考えているのに、それでも何か少しずつ少しずつなくしていっているように思えます。
  • Sと過ごした日々も忘れることがあり、不安を感じます。
  • このことは日々感じています。忘れるはずがない!と思いつつも、かなり自分のなかで不安に思うところです。(逆にKにも忘れられていないか心配です。)
  • 年のせいか、物忘れが・・・。
  • 自然といつも思い返すので、あまり感じない。
  • 薄れないから
  • Rと過ごした5年間より、亡くなったあと5年以上過ぎる日が来るのが辛い。
  • 12年が過ぎて、今一緒に生活している子供たちのほうとの時間が長くなるほど亡くした子との思い出が薄れていくように思える。
  • 日々の現実を過ごしていて、残された下の子にもお兄ちゃんがいたんだと思うときがあります。下の子はちゃんとニイニイのこと忘れていないので心強いです。
  • Uに関することは何一つどんな些細なことも忘れたくはなく思い出したことなどメモを取るようにしています。
  • 今はないです。いつもMの写真に囲まれて、車に乗るときも、仕事をするときも、写真を前に置いてしゃべりながら移動したり、仕事をしたり。今も一緒にいるつもりです。先のことは分からないですし、とりあえず今のことでいっぱいいっぱいです。
  • お別れしてもうすぐ9ヶ月。すべて覚えておきたいという気持ちはとても強いのに、でも記憶の中からは細かいことが抜け落ちていっているような気がして、この先どんどん抜け落ちてしまうのかと、淋しく思うときがある。
  • 日が経つにつれ、本当に遠くに行ってしまったという寂しさが強く、声を忘れそう。何もかもが私から離れていってしまいそうで、とても不安があります。動いているJを忘れそうです。

4.なくなった子どものことを、家族以外にも覚えておいてほしい思いがありますか?

とてもある38人  ある20人  少しある8人  あまりない4人  ない1人

 

―記述欄から―

  • 私たち家族の大切な一人として、家族のなかでしっかり覚えて、可愛かったことを話すだけでよい。
  • 当初はありましたが、今は覚えてくれている人がいるだけでいいと思っています。
  • つどいに参加させてもらい、段々とそういった思いもできつつあります。
  • とくに、Nのことを知っている保育園の先生方には覚えていてほしいと願っています。私に対する気遣いからでしょうが、次女が入園したころ、そろってNの話題を避けているようで寂しく感じました。
    私からNのことを話題にすると、ようやく同じように話題にしてくれるようになった先生もいらっしゃいました。
    でも、担任であったにもかかわらず、Nが入院したときから、結局一度もNのことを語ってくれることもなく、私とまともに話すこともなく、退職されていった先生もいらっしゃいます。
    もともとNのことをあまり気にとめていなかったのか、いったいどういう気持ちでNのことを受け持っていたのかと、今でも疑問に感じます。
  • まだNのお友達が保育園にいたころ、月齢の高い子はNのことを覚えてくれていたようで、ときどきNのことを話してくれたことはとてもうれしかったです。
  • せっかくこの世に産まれて少しでも周囲と関わりができていたので、近所の人やママ友の人たちにはRという子がいたことは覚えていてほしい。
  • 私の友人たちは覚えてくれています。でも時が経つにつれ薄れていくような気がしています。
  • 2の「理解ある人」はもちろん、私は「覚えておいてほしいから」折に触れて2にあたる人に語るのかもしれません。
  • 友だちや先生、Tのことを知っているすべての人に覚えていてほしい。
  • 幸いにも、10年たった現在でも気にかけてくれるような人がいます。とても嬉しく何でも話せます。娘が確かに存在していたという証のように思います。
  • 忘れられることに怒りはないですが、覚えていてもらえるとうれしい。
  • Aの記憶がその人の人生にとって何かプラスに働けば、その人の中でAが生きているように感じられる気がする。
  • みんなの心のなかに生き続けてほしいですのですが、K自身をあまり知らない人に「かわいそうな子ども」として残るのなら、忘れてもらっても構わないと思います。
  • 出会った人すべてに、これから出会う人すべてに。
  • 亡くなった当初はとてもありましたが、3年経って、自分でさえ記憶が薄れていくような感じがするので、他人が忘れていくのは仕方がないかなと思うようになってきた。
  • 家族と親戚以外ほとんど出会っていない子どもなので、わずかに出会った人には覚えておいてもらいたい気持ちがあったが、でも難しいことなので、この会のなかで存在を知ってもらえるようにしてきた。
  • 生まれてから亡くなるまでずっと入院していたので、家族以外では私の親しい友人しか会っていないので、その友人はこれからも大切に付き合って、ずっと覚えていてもらいたい。医療者にも。
  • 他人に強要することは不可能。立場を置き換えてみたら、果たして自分にできるかどうか。覚えてくれる人は言わなくても覚えていると思う。
  • 病院での生活が長い子だったので、Kのことを知っている人が少ないということもあり、一生懸命生きたことを覚えておいてほしい気持ちもどこかにあります。
  • 今覚えてくれている人たちに、ずっと今と同じ記憶をもっていてもらえたら嬉しいです。
  • 特に誰という希望などはないが、たまに知っていた人に会うと、嬉しく思う。
  • 以前はまわりの人や娘の友だちにも覚えておいてほしいと思っていましたが、無理に覚えていてもらわなくても私たちさえ、私さえ、覚えていればそれでいいと思っています。
  • 心を許せる親しい人には覚えておいてほしい。
  • 元気に成長してくれていればもっともっと多くの人々に出会う人生を送っていたはずです。できるだけ多くの人に覚えていてもらうのはうれしいことです。
  • 最近になって思う。なぜなら喪中はがきを、Mのこと(誰が亡くなったのか)を書かずに出してしまったことを少し後悔している。あのときはできなかったが、出しておけば何人かの人の記憶に残ったのではないかと。今からでも何かできないか考えている。
  • 6人目妊娠中ですが、「この人4人の母やで」など親しい人に言われたとき、ショックだった。
  • ある、ある、ある、とてもあります。だってあの娘はもう記憶の中でしか生きられないから。私たちの大切な人たちのこころの中でも生きつづけてくれるといいなと思います。
  • 私は授業で、まったく知らない学生たちに毎年伝えています。
  • 1とつながっていると思いますが、「早く忘れて」といわれることも多く、家族なのに忘れるわけないじゃないか!と思っています。その気持ちの反動なのか、「覚えておいてほしい」思いがあります。
  • このことは思えば思うほど周囲との溝ができ、自分が悲しくやりきれない思いになるでしょう。自分を反対の立場に置き換え、こうなる前、はたして大きな悲しみを背負った人に本当の意味で共感し、心添えるような考え方ができたでしょうか。
  • 生きた証として、自分の子どもを知っている人にはいつまでも存在を覚えていてほしい。
  • 私の心のなかにいつもMはいるので、ほかの人にまで望めないし、たぶん無理だろうと思っている。
  • Mと会ったことのある人すべてに覚えておいてほしいくらいです。生きていれば、これからたくさんの人に出会って、いろいろな人とふれあいがあるのだろうけれど、それは望めないことだから、せめて少しでも関わりのあった人たちには覚えていてほしいです。
  • その子の存在を忘れてはいけないという思いが強いので。
  • 引越しをしてしまったので、今の友人や近所の人は亡くなった子どものことを知らないので、せめて引越し前にお付き合いのあった方には覚えておいてほしいと思う。
  • 理解している人なら覚えててほしい。
  • できることなら、みーんなに覚えていてほしいです。
  • 息子の事をとてもよく見て知ってくれた病院のスタッフと、病院で知り合い仲良くなった友人たち。
  • 正確には「とてもあった」。以前、天国の子どもたちに手紙を書くといった企画で、Cに書いた手紙をいろいろな講演会で紹介してくださっていたことを知りいろんな方に知ってもらったという思いで嬉しくなりました。
  • 絶対に忘れてほしくない。いつまでも、ずっと、ずっと。
  • 2年10ヶ月という短い命でしたが、確かにこの世にいたということを知ってもらいたい気持ちはいまもずっと続いています。
  • Uのお友だち。下の子ども(3歳)。
  • 幼くして亡くなってしまったUですが、本当に笑顔いっぱいで周囲を楽しくしてくれました。いつまでも元気なかわいいUのことを覚えていてほしいと強く願います。
  • やっぱり覚えておいてほしいです。正直、期待もしていないし、そう思うこともつらいのであまり考えないようにしています。自分たちが、生きてたころのMを忘れず、愛し続けてやることと、病院の看護師さんが「Mちゃんのことは自分がお墓に入るまで忘れません」って言ってくれたので、本当に心からそう思ってくれる人がいるだけでうれしいです。
  • Mのことを知っているすべての人に、というのが一番の願い。でもそれを期待すると、そうでないときのショックが大きいので、ごくごく身近な身内や友人だけでも覚えていてもらえれば十分だと思うようにしています。
  • 思いはありますが、一周忌を越えるとだんだん会いに来ていただける人数も減ってきて、みんなJのこと忘れちゃったのかなと、悲しくなることがあります。

5.なくなった子どものとらえかたや扱いで、周囲との違いを感じることがありますか?

とてもある24人  ある23人  少しある12人  あまりない8人  ない2人

 

―記述欄から―

  • 病気に対してかなり神経質になった。
  • 出産前に亡くなった命に対し、少し軽く考える風潮があるように感じます。
  • 同じひとから、次女が生まれたときには「Nの生まれ変わりだ」、次女が病気になれば「Nが守ってくれる」など、その場の思いつきで違うことを言われ違和感を覚えたことがあります。
    私自身、「もう一度、Nが生まれてきて欲しい」という願いを力にして次の子を産み育てる決意をしたことは確かですが、それは私の心のなかにしまっておきたいことであり、現実的には次女はNの生まれ変わりでなく「妹」として育て、次女にはNを「お姉ちゃん」と伝えています。
  • 昔に兄弟を亡くしたことがある方に、亡くしたことに特別な感慨はないといわれ、冷えびえとした気持ちなったことがある。
  • 夫は先日、Rの命日を間違えて言った。やはり母親よりはRと接する時間が少なかったから失った悲しみは私より少ないのかなと思うときもある。
  • 当初は「ある」だったが、それにより傷ついたりして、結局Nへの想いは自分にしか分からないし、分かってもらえなくても仕方ないと思うようになりました。
  • あまり周囲を気にせずやっています。
  • 義母や義姉は、Tを亡くなった人として扱う。誕生日などを祝うことがない。私は今でも誕生日はお祝いするし、いつも一緒に生きていると思っている。
  • 私や夫以外の人にとっては、娘のことはもう過去のことです。思い出話をすることさえはばかられる気がするときがあります。とくに次女の前では。次女なりに姉のことは大切にしているのですが、思い方が違うので。
  • 周りの人たちは「触れてはいけない部分」と扱っているのを感じると悲しくなります。
  • 私が門徒だからかな?
  • 私の中では元気な子どもと同じか、それ以上に毎日想っているのに、「思いださせてごめんね」「次の子どもができて安心やわ」という言葉をかけられる。
  • 人と亡くなった子どものことを話すことがないので分からない。祖父母でさえもう過去のこととしてとらえているような気がする。私にとってはずっと継続しているのに。
  • 子どものことを考えることや話すことは、とても自然なことなのに、人が引くような、こわばった反応にこちらも戸惑った。涙は勝手に出てきて、でも話したくて話していたのだけれど、明るく過ごすことを望まれ、話さなくなると安心している空気が寂しかった。
  • 家族間でさえ温度差を感じ、深いところで話せない人もある。他人ではなおさらだと思う。だからこそ「小さないのち」は媒体となり、同じ涙を流すことができることを周知すべく活動が大きなものになることを望み、協力したい。
  • それは仕方がないことだと思います。
  • 当然かもしれないが、子どもを亡くす親の苦しみは、体験した人でなければ分からない。周囲との違いを感じることは多々ある。初めは傷ついたりしたが、しようがないことだと今は思える。
  • 周囲がどうとらえているか分からないから。
  • 夫との違い
  • それぞれの思いや感じ方がありますので、特に周りを意識していません。私は私の思い方、感じ方で、娘を身近に今も感じています。
  • 義父母との間には違和感があります。
  • 経験者とそうでない人とでは、とても違うと思います。死を、触れてはいけないもの、悲しんではいけないもの、そのように教えられてきたせいだと思いますが。
  • これも以前はあった。時折話すと、皆それぞれに胸の内でMのことを考え続けてくれることが、わかってきたので、今は安心している。
  • 今も私は進行形。決して過去にならないのに、周りは過去になっている。私は今も「辛い」。でも実母は「辛かった」となる。
  • 職場では私の元気(そう)な振る舞いに娘が生まれたことさえ忘れていそうな雰囲気がありますし、身内は娘は娘として「早く次の子を」みたいな空気があります。
  • 私はあまり気にしないので、感じないのかもしれません。
  • 1に書いたとおりです。赤ちゃん特有なのかもしれませんが、生まれたと認められていない、家族だと思われていないのがつらいです。
  • 人間の本質の根底には利己心の存在が大きいので、これをどう抑えるかが本当に難しい。これが個人個人の人間の性質になっていくのでしょう。
  • 周囲の他人とは、違いがあって当たり前と思っているので、諦めもあり、あまり気にしないのですが。夫・娘・父・母・姉とは違いは感じませんが、義父母とはかなり違いを感じます。離れたところに立っているような気がします。
  • Sと同い年の子のお母さんとお話するとき、当たり前ですが、違いを感じて、寂しさや悲しみがあふれてきます。
  • 亡くなったことを伝えても「あっ そう」とか言って軽く流されてしまったりすることがある。なんか長男の存在自体も軽く扱われたように思えて悲しくなる。
  • 上手く言えませんが、たぶん何年経っても私の「普通」と一般の普通というところが、少し違っているのかもしれないです。
  • 残された家族3人仲良く幸せに暮らしていけと言われる。まだまだ息子なしで幸せになれない。
  • 周りの人が話題に出したらいけないと思うみたいだけど、私は話すことがあの子が生きた証だから、普通におしゃべりしたい。
  • もう6年も経つのだからといわれると、(とくに親戚)、頭にくるのだが、この人たちに言っても分からない、エネルギー使うだけ無駄、と考えるようになった。何年経っても悲しい気持ちにかわりはない。変わったのはそんな言葉を聞いても慣れてしまい聞き流す事を知ったこと。
  • 時間がたてば忘れられるかのような言い方をされたとき、忘れられるはずがないと言い返したい気持ちになる。
  • もうすでに”過去”の事のような周囲の方の反応があってつらくなります。特に勤め先で。
  • 周りの人は、できるだけUのことに触れないようになりますが、私たち夫婦は毎日Uのことを思い出し、話し、語って、Uと共に暮らしている点で感じます。
  • 亡くなってもMは私たちの主人公。気持ちは生きている子と何ら変わらず、1人の子どもとして扱っているけれど、周りはそうじゃない。
  • 私たちにとっては、今もそしてこれからも、現在進行形。でも周りの人の中には、完全に過去形になっている人もいる。とても淋しいけれど、仕方ないのかなとも思う。
  • いまだにリュックにJを連れてしか外へは出られません。心にいることは分かっていても、Jのお世話がしたい、重みを感じたい。主人も私の言うとおりはしてくれますが、下の子に対する子育ては、Jと同じ子育てをしたい私とは違うようです。主人はJにしてあげられなかったことを下の子にしてあげたいみたいです。

6.なくなった子どもの物や、子どもが使った物を、大事に保管したい思いがありますか?

とてもある53人  ある16人  少しある1人  あまりない1人  ない0人

 

―記述欄から―

  • 今でもよく着ていた服をタンスに入れている。着ることができなかった服も大切にしまっている。
  • Nのおもちゃや洋服は、ふつうの姉妹と同じように次女が使っています。
    はじめは手に取るたびに、いろいろな思い出がよみがえって涙がでましたがが、「妹がおさがりを使うのはあたりまえ」と思うことにしました。
    ただ、病気になる直前の夏、元気なときに着ていた数枚のワンピースは、どうしてもおさがりにする気持ちになれず大切に保管しています。靴と歯ブラシも、当時のまま置いてあります。
  • 遊んでいたおもちゃや服、ビデオ、写真、へその緒、遺髪には特別な思いがある。とても捨てることはできない。もしまた子どもが授かれば、その子に使ってあげたい。
  • 何か1つでも形のあるものがあれば、すごく嬉しく思うと感じます。
  • 洋服などで、下の子が着れるものは少しの間着せて(消耗しないよう)またしまっておきます。長男専用のクローゼットに使っていたものをしまってあります。
  • おもちゃや洋服、すべて置いておきたいが、家の事情や収納スペースなどで保管できない物があって辛い。
  • 洋服、靴、幼稚園で使っていたスケッチブック、色鉛筆などすべて保管しています。
  • 机やランドセル、洋服、捨てられないし人にもあげられないし。写真も何枚も飾っている。でもきちんと整理しておかないと、私たちがいなくなったときにどうなるのだろうという不安があります。
  • これは絶対に。今は何も触らずに残してあるけれど、これがあと20年30年後まで残せるか不安。残し方にも工夫しないといけない時がくるのも心配です。ビデオとか写真とか、すでに何とかしないとだめかな。
  • 鏡の手の跡(もうとっくに消えているけど磨く事はできない)、茶筒のかじった跡なども大切に思っています。
  • 病院で最後に使ったバンダナも洗わずにとってあります。何も捨てることはできません。
  • 新しくて役に立つものばかりだったので、親戚や知人にほとんどあげてしまったが、あまり大事に使ってもらえていないのを見て、そんなこと思うくらいなら手放さないほうがいいと、残すようになった。
  • 寝ていた布団やベッドは、すぐに処分したほうがいいと言われ、泣きながら葬儀の方にお渡しした。ベビー服は未だにクローゼットの中にしまってある。
  • どんなものでもとっておきたい。でも現実は伴わないこともある。物理的に無理なものもある。子どもの身になり「これはいらないよ」と言いそうな物はやはり処分か。何十年も経ったら実行できるのかも。
  • 何もかもすべて置いておきたいと思っていたが、少し変わってきたのか、選んでいるようなところがあったり、「物」に対しての思い入れが変わってきたようなところがある。
  • ベビー服しか着ることがないKだったので、一つひとつ大切にしていきたい思いもあります。
  • 洋服、おもちゃなど、持っています。
  • Yの温もりを一番感じることができる。
  • カルテなどを遺品と思っている。
  • 捨てる事は絶対にできません。私が亡くなったら一緒にだびにしてもらいたいことは娘にも言ってあります。娘にまで引き継がせる気はありません。
  • 全てが宝物です。
  • 赤ちゃんだったので、写真すら少ない。だから一つでもあれば大切にしていきたい。私を見てにっこり笑ってくれた表情。でも一番は、自分の記憶、抱っこした感じ、体温、においなど、五感で感じたものは特に大切に思う。自分だけのものとして心にしまっておけるので、それを一番大切にしていきたいと思っている。
  • 生後長く生きたわけではないので、娘が使ったものというのは本当に数少ないです。すべて私が寿命を全うして向こうで娘と再会できるまで大切に保管しておきたいです。
  • 短い間に、共有した時間を大切にしたいです。
  • 病院で使っていたベビー綿棒ケース(名前が書いてある)すら捨てることができずにいます。中身の残りは自分で使ったのにもかかわらずです。生きた時間が短く、思い出の物が少ないので。
  • 子どもの物を大切にし、触れたり見たりすることで、子どもの面影が心に浮かび、その時々の表情、声の調子、仕草などを思い出し、楽しかった日々を回想したり、いなくなった今を思い悲しくなりますが、それが心の中で子どもを偲び、思い続けることとなり、子どもが喜んでくれるであろう事と思います。幼くして旅立たなければならなかった命ゆえ、長い間心の中で思い続けることができます。そう思い続けることが、命を輝かせるという心の動きにつながっていくのだろうと思います。それはこの上なく崇高で尊い心で、命をまっとうした人に対する思いとは一線を画すように思えます。
  • おもちゃと服のほんの少しだけ保管しています。あとは下の子どもたちに使い、「お兄ちゃんのお気に入りだったんだよ」と言って、その後処分します。
  • 家の中には、他の人から見たらガラクタにしか見えないものがあふれています。Mが触れた物はぜんぶ残しておきたいからです。可能な限り保管しています。でも最近使っている物などで、「これはMがいた頃にあったかな?」とわからなくなることが多く、月日の残酷さを感じてとてもつらいです。分からなくなる自分が許せなく思います。
  • どうしても、思い出として残しておきたいと思う反面、見るとつらくなるので何年間もみていないと思います。
  • 遊んでいたプラレールや、おもちゃや、着ていた服などは、下の子におさがりとして大事に使ってもらって、そしてそれを大切に取っています。思い出が二つ分詰まっていますから。
  • 実際におもちゃや洋服など、いくつか保管しています。
  • 出来れば何でもぜんぶ保管しておきたい気持ちですが、実際には「無理なこともあるんだろうなー」と、時間とともに感じているのも事実です。例えば、車を乗り換えるかどうするかのときに、ずーっとずーっとこの車で、と思うけれど、やはり安全のことを考えればいつか手放さなければならない日が必ずくるわけですから…
  • 息子があまり使わなかった物、保管するのに大変な物は捨てましたが、それ以外はどんな小さな物もとってあります。
  • 最後にしていたオムツは、ビニール袋に入れて保存。足となって活躍してくれたクルーザーは、お仏壇の横に。カルテ・画像診断・リハビリの記録は、見る機会はほとんどないが、アルバム同様大事なもの。
  • 大切にしている。でも使う本人がいないことがすごく切なくなることもある。
  • 服とか哺乳瓶なども、なかなか処分できず、ずっと大事に保管している。
  • 物に対するこだわりが最近なくなってきた気がします。
  • 保管しています。未だにUの部屋はそのままです。洋服も靴もノートもすべて。
  • 季節ごとにUの服をハンガーにかけて吊るしています。本当は洗濯もしたいのですが、Uのにおいが消えそうで、色あせたり、ほつれたりしそうで、ほこりをはらってそのままタンスにしまいます。
  • 5ヶ月という短い人生だったので、Mのものは少しです。だから大切にとってます。
    使ったものも、使わずじまいだったものも。いまだにちょっとしたおもちゃとか、Mのものは増えていっています。
    Mの使っていたチャイルドシート、確かに今は使っていないけれど、またいつか使う日がやってくるかもしれない。
    そう思ってきれいに保管しています。なのに私たちの気持を踏みにじるように知り合いが、生まれた子どものためにチャイルドシートを貸してと言ってきた。
    しかも主人の親を通じて。もう少し皆が私たちの思いを汲んでほしかった。Mが亡くなって数ヵ月後の出来事でした。
  • 着ていた洋服、使っていたおもちゃ、日用品すべてが大切です。残せるものはすべて残しておきたいと思っています。
    でも下の子が使えるものや着れるものは、Mに「貸してね」と言って使ったり着せたりしています。
    親しい友人の子どもが来たときには、おもちゃなども使ってもらっています。でもどうしてもそのままの状態で置いておきたいものは、誰にも触られないようにしています。
  • Jの赤ちゃんの時の服、保育所で描いた絵、触れていた物は、全て残しています。絵は壁一面に貼っていますし、将来はJの部屋を作り、全て飾りたい思いです。壊れていても、着れなくても、Jの物は大切にしています。
  • 特におもちゃです。兄弟で遊んでいたので、どれがTの物なのかは兄に聞けば覚えているのですが。
    亡くなってすぐは、「ぬくもり」があったので、これもあれも捨てられない、あの時遊んでいた…など思い出せるのですが、最近フリーマーケットに誘われて整理をしたところ、思い出せないんです。
    きっと、取ってあったということは、遊んでいたからだったのですが、それが思い出せなくて、「時がたつ」というのはこういうことなのかと、とてもやりきれない思いでした。

7.なくなった子どもの「生きた証」のようなものを残したい思いがありますか?

とてもある47人  ある16人  少しある15人  あまりない2人  ない0人

 

―記述欄から―

  • 亡くしたばかりのときはかなり強く感じたが、10年経ったいまは、私の心の中で一生忘れない証となっている。
  • 短い期間でも命を授かったからには、必ず何か理由があると私は考えます。心の中以外にも証があると嬉しいです。
  • 亡くなったことをまだ受け入れていない、気持ち的に認められない状態。
  • 特定の「物」ではなく、私の記憶(思い出)が一番大切だと思っています。「物」としては母子手帳。Nが紙で作った人形は大切に額に入れて飾っています。
  • あえて形にしたいとは思いませんが、保険証など、取っておけばよかったという後悔の思いはあります。
  • たった4年しか生きられなかったけど、私たちの子どもでいてくれたことには間違いないのだし、年月が過ぎて世間から忘れられていくのはさびしいから、何か残したいですね。それでホームページを作ってます。
  • たった1年2ヶ月しか生きられなかったけれど、ちゃんとこの世にRは存在した事は証としてほしい。
  • 育児日記など残してあるが、つらいので読み返せない。いつか読み返してみたい。
  • 残したいと思う。だけど最近は私の心のなかで生きているからそれでいいという思いもある。
  • 戸籍=生きた証ではないでしょうか
  • 娘の場合は11歳だったので、本人が残してくれた物(絵、手紙、友人など)がたくさんあります。もちろん脳のMRI写真も病院からいただいてきました。カルテはまだ請求していません。(請求しないと思います)
  • 生きた証もそうだけれど、それよりも子どもが大切にしていたもの(例えば飼っていた魚や傷だらけの自転車など)を私も大切にしたいと思う。
  • 今も生きている証、これからも生きている証、知ってほしいです。
  • Rは自宅で亡くなったので、入院中のカルテはないのですが、産まれてからなくなるまでにかかった医療機関に連絡してカルテのコピーを集めました。
  • とても小さいので、どう残せるのかずっと考えてきたが、この会の運営に関ることで、子どもの遺族にしかできないことや、遺族だからできることを考えていくことが娘の存在の証になると思うようになった。
  • 赤ちゃんだったので、自分の頭(記憶)が全ての気がします。
  • 生きた証って何だろう?自分自身が産み、育ててきた。短い年数かもしれないけれど、一生懸命愛し、子どもから愛されて過ごしてきた。自分の中の子供、これが証になる。
  • 23週で産まれた子でしたので、1年1ヶ月という短い年月でしたが、一生懸命生きたという面で、何か残せればという気持ちもあります。
  • 娘のことを覚えておいてほしい気持ちがあるからです。
  • 何が証になるか、ムズカシイ。
  • 具体的な形ということより、何かが変わるといったこと、社会や制度など(の充実)をより望む傾向にあると思う。
  • 物ではなくて心のなかの証が大事だと思います。特定の人とそれを共有しあえることが、遺族には最も必要と思います。
  • 子どもの物、使った物、乳児医療証、診察券、カルテ、何でも関わりのあったものすべて大切な証です。物質的なものもそうですが、人の心に残ってくれていたらそれも大切な生きていた証だと思います。
  • 周りのお友だちに忘れてほしくないという思いから。
  • 長男のことを自分なりに文章にまとめてみたいと思っていますが、いつになることやら…。
  • このようなものは、時間がたつほど手に入れにくくなるものが多いように思うのですが、実際は、あとから「あれも」「これも」と、残しておけばよかったなーと思うのです。
  • それが”何か”よくわからない。
  • 彼ができなかったことは私たち家族が引き継いでやっていきたいと思います。でもどう伝えていいかわからなくなります。私のなかでは生きているので。
  • Uに出会ったすべての人の心のなかに残っていて、覚えていてほしいことです。
  • やっぱり、生きた時間が短いので、余計に残したいと思います。私もそんな思いで入院中のカルテを取り寄せました。
  • 忘れられたくない気持ちと同時に、自分も忘れたくない(どんなに小さなことも)という思いが強い。そのためにも、という思いでHPを作ったり、ブログに書いたりしている。カルテなどもすべて取り寄せている。
  • 母子手帳、育児日記、保健所の先生との連絡帳、Jが一日一日歩んできた人生を大切にしていきたい。カルテも全て、レントゲンも全てもらいました。この世にJがいたことを残していきます。
  • いま戸籍のこともありますが、保険証の中でもすごく傷つきました。主人が「書き換えがある」とTの名前のものを持って行きました。
    この前に保険の請求のため、戸籍を取りに行った時も、受付で泣きました。だから保険証もこうならないように、名前がある保険証のコピーをとってあります。

さいごに

用紙の最後で質問しておりましたが、お子さんのことを個別に教えていただける方には、少しずつお会いしています。時間がかかりますが、必ずお会いしたいと考えておりますので、連絡をお待ちいただけると幸いです。

また、いま無理でも(無記入だった方は)、時期を迎えられたときにお知らせいただけると嬉しく存じます。

続きの報告(戸籍関連)は次号以降でさせていただきます。

(文責 坂下裕子)

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1) 「周囲」とは、家族以外を尋ねたつもりですが、家族で答えた方を多く含みます。