会報 No.69

2011/08/04

こころの扉(会報69号)

平成19年8月
発行 小さないのち

ベビー・チャイルドマッサージ
〜きょうだいとのつきあいに悩んだ日々〜

会員 中島みえこ

2002年7月31日、4人目で長男の賢信が産まれました。

賢信は初めての男の子でした。入院中にオムツの中を覗きながら「うわあ ホンマ男の子や」と感激した記憶があります。

賢信には3人のお姉ちゃんがいて、上の子達は非常に賢信を可愛がりました。賢信は王子様と呼ばれ、何をしても怒られることもなく、「これはどうしようもないくらい我が儘になるで」というくらい可愛がられていました。

 

もうすぐ初めての誕生日を迎える2003年7月26日、その日の夕方に下痢と高熱からはじまりました。転げ落ちるように病状は悪化し、翌朝には、意識もなく自発呼吸も止まってしまいました。

賢明に頑張ってくれたのですが、25日後の8月19日。家族全員に見守られ眠ってしまいました。

 

入院中も非常に苦しく悲しかったのですが、賢信が亡くなった後、そこからが本当にはじまりでした。

午前中はいつもぐずっていたので、洗濯掃除は時間がかかりました。あっという間に終わってしまい愕然としました。

考えるのは「なんで」「もし〜ならば」毎日毎日「なんで」を考えました。どんなに考えても答えが出てこなくて苦しみました。

私の未来にはいつも賢信がいるはずでした。私が亡くなるときにもいるはずでした。その賢信がいないというのは、私の未来が亡くなったのも同じでした。

子育てにもすっかり自信がなくなりました。主人は残った上のきょうだい3人が非常に心配だったようで、私が泣くと「しっかりしてくれ」という言葉を何度も言いました。

しっかりしてくれといわれても、毎日をこなすのにやっとの思いでした。

 

本当に毎日「なんとかこなしてる」状態だったのです。

子どもたちもなんとか元気づけようとしてくれるのですがそれに答えることも出来ず。母親としてやっていけない状態。

賢信を思って心と体がぼろぼろになると嬉しくなり、立ち直ることは賢信を忘れることだと思っていました。

しかしどこかで、「この状態を抜け出さないと」と焦る自分もいました。しっかりしなければという気持ちがあっても、心がついていかず出来ない自分にまたいっそう落ち込むという悪循環でした。

 

一時期は子どもと手をつなぐのも苦痛になりました。生きてくれているだけでありがたいことなのに、子どもをかわいがれない自分に、本当に嫌気がさしました。

自分の事を嫌になればなるほど、子どもとの関係もうまくいかなくなりました。

自分自身に余裕がなく、やらなければ、こうしなければと焦りはあるのですが心と体がついていかず、子どもとの事もこのままではいけないと解ってはいても、どうしようもない状態でした。

 

泣くと子どもは心配するし、主人に「しっかりしてくれ」と言われるので泣くことが出来ませんでした。当時3才の3女と二人きりになると涙が出てくるのですが「なんでうちと二人になると泣くの」と言われ、泣かないようにずっと我慢していました。

そんな事を重ねていくうちに、私自身ますます アップアップの状態になっていきました。

ある日、私は主人にお願いしました。主人も子どもたちも、私が泣くとどうしていいのか解らなかったようです。後に解ったことですが、長女は「お母さんを支えてあげて」と言われたらしく、私が泣くと何とかしなければと思ったようです。

なので、泣きたいときに泣かせてほしい、何もしなくていい。泣くほうが楽になる。と伝えました。

主人と子ども達はそれを聞いて理解してくれました。私は「泣ける事が出来るようになった」というよりも、主人が「理解してくれた事」に心のつかえが少し軽くなったように思います。

 

上の子の中で当時5才と3才の子どもは、大きな声で賢信の名前を呼んだり賢信の話しをしたりしていました。しかし、当時7才(小1)の長女だけは何も語りませんでした。

一番賢信を可愛がっていたのでこちらとしても一番心配でした。ふと気づくと一人で泣いてたり、落書きで「賢信に会いたい、賢信の所へ行きたい」という風に書いてたりすることがありました。

当時の私は泣かれたり、落書きをされたりするととても焦りました。なんとか泣きやませようとしていました。

 

しかし、ある時ふっと気づいたのです。私と同じだと。主人に、泣きたいときに泣かせてくれといった私と同じだと。今にして思えばそうやって長女は自分の気持ちを整理していたのでしょう。

私は、本当に長女に「ただ元気になって欲しくて」やめさせていたのではなく、「それを見るのが 私が辛かった」からやめさせようといていたのです。あくまで長女の立場に立たず、私の思いでやめさせようとしていたのです。

そのころから私は、子どもも親と同じなのだと思うようになりました。特別親が守ってやる物でもなく、一緒に泣けばいいのだと思うようになりました。

 

その数ヶ月前、私は賢信のHPを立ち上げました。

そのHPを立ち上げたことで知り合いになる方が沢山いました。その中で、きょうだいを亡くされたかたから数人メールが来たのです。

共通しているのは「きょうだいが亡くなったとき母の苦しむ顔が辛かった」とう内容でした。自分も辛いはずなのに、子どもは親の心配をしていることが多いのです。

自分のことだけでいっぱい いっぱいだった私には、ものすごい衝撃でした。

 

子ども達は私をずっと待っていてくれました。賢信が亡くなった後も、本当に辛かったと思います。入院中も祖母宅にあずけられ、それでも愚痴一つ言いませんでした。

周りの大人や私のように、自分の気持ちをぶつけることもなく自分も辛いのに「私も辛いのよ」なんて気持ちを理解しろと言うようなおしつけもなく急がず、焦らず、ずっと横にいて待っていてくれたのです。

そんな姿勢に「みんなで頑張って生きていこうね」そう教えられました。

それに気づいたとき、「私は子ども達に何かできないか」を考えるようになりました。

 

ベビーマッサージを始めるきっかけ

賢信が亡くなって、二度と子どもを産まないと決めていた私ですが「小さないのち」に入会し、HPを作ることで、だんだんと心にも変化が出来、その後 次男・三男を授かることが出来ました。

 

上の子どもたちは弟が出来、本当に嬉しそうにしてくれていました。

赤ちゃんを見ることでふっと懐かしく賢信を思い出せるようになってきたとき私が子ども達に出来ることをもう一度考え始めたのですが、なかなか良い案が思い浮かびませんでした。

交換日記などもしてみましたが、それでもうまく通じ合ってるような気がしませんでした。

 

ある時、紹介されたのがベビーマッサージでした。

最初は「何かやっておかないと」という気持ちからでした。当時は(今もですが)忙しさに紛れて、日々を過ごしていました。忙しくすることで気を紛らわせていました。

何もすることがないと賢信の事を考えてしまうので、子ども達が大きくなって時間が空いて退屈になるのが怖いという気持ちがありました。

もう一つはどう想像しても、1歳以上になる賢信のことが想像できなくて、それならば赤ちゃんを沢山見てやろう(ちょっと滅茶苦茶ですが)なんて思ったのがきっかけでした。

そう、最初は自分のためだけだったのです。

そして、ベビーマッサージの免許を取るため実際に子どもにマッサージをする課題を自分の子ども達でやっていました。そこで私の気持ちに変化が起こったのです。

 

まず、マッサージをしながら子どもの足の裏や普段見ないところを見たり、顔のマッサージでは気持ちよさそうにしている子どもの顔を見て「可愛い」と思えるようになり、ほんの些細なことですが自分に変化が現れました。

タッチすることでなんと言いますか、今まで反発しあっていた物が交わる様な感覚といいますか、不思議な感覚が芽生えてきました。

当時プチ反抗期の小3の長女もマッサージ中は素直に身をゆだねてくれました。ほんの10分ほどの行程なのですが、非常に内容の濃いスキンシップをすることができるということに気がつきました。

それ以降、このベビーマッサージにきょうだいのケアは非常に有効ではないのかと思い始めました。

 

ベビーマッサージとは

ベビーマッサージは様々なところがやっているのですが、私が行っているベビーマッサージはチャイルドボディワーク協会(著書 心と体を育てるベビーマッサージ 能登春男氏)で認定を受けています。

“ベビー”と付くので赤ちゃんのみかと思われがちですが、子どもにも大変効果があると私は思います。

 

日本では昔はベビーマッサージが行われていました。おばあちゃんなどが、「足が長くなれー」「おおきくなれー」と言いながら体をさすっているのを見たことがないでしょうか? 昔は自然とやられていたようで、「小児あんま」と言う名前で医療にも使われていたようです。

西洋医学がメインになってからは衰退してしまったようですが、マッサージすることで元気な赤ちゃんになり、病気を予防する目的・病気になってもマッサージによって治療する等していたようです。

 

ベビーマッサージは一般の成人にするような血液循環に働きかけるマッサージではなく優しいタッチや感覚覚醒のためのエクササイズによって自律神経や末梢神経を刺激し間接的に脳に働きかける物です。

よって、大人が受けるマッサージとは全く違う物と言えます。

 

タッチケアという行為がいかに大切かと言うことなのですが産婦人科でも最近は出産後すぐに赤ちゃんを抱かせる所が増えています。(これをカンガルーケアといいます。)

未熟児治療にも用いられることがあり、保育器の中に入っている子どもを毎日さすっていると、さすっていない子との身体の発育の差が違うそうなのです。タッチという行為がいかに重要かと言うことの一つの例だと思います。

 

ベビーマッサージの効果

  • 子どもの生きる力を引き出します。
    動物の母親は子どもをなめまわします。人間は変わりにマッサージをすることで皮膚刺激を与え、器官を活性化させることが出来ます。
  • 親子の絆を深めます
    子どもの頃に培った安心感は大人になってからも覚えています。気持ちが良かった記憶は大人になっても忘れることがないです。
  • 抗力・免疫力が高まります
    マッサージで循環器系の発達が促される事により筋肉の緊張がほぐれ、リラックス効果で抵抗力が付きます。
    リンパ系にも働きかけるので免疫力が高まります。
  • 人間関係を育て、EQ能力を高めます。
    家庭でよく抱かれる子どもは対人関係でもうまくいきやすくなります。
    ※ EQ=エモーショナル・クオリティの略 情緒的な能力のことで、代表的な物に対人関係能力があります。
  • 発育が良くなります。
    マッサージによりリラックス効果で深い眠りをもたらして、成長ホルモンの分泌を高めます。
  • 感覚・感性を育てます
    最近は体の調子を説明できない子供が増えているそうです。身体感覚に乏しいため、自分の体なのにどこが動なのか把握できないそうです。
    マッサージにより手や足など様々な部分にタッチされることで自分の体の置き差や形、肌触りなどを知ることが出来、感覚や感性を磨くことが出来ます。
  • 消化機能が高まります。
  • 皮膚が丈夫になります。
  • 呼吸が深まります。
  • バーストラウマ(出産時のトラウマ)が和らぎます。

これらのことがマッサージの効果としてあげられています。

上記は受ける側(子ども)の視点が中心ですが一番効果があったのはマッサージを行っている私自身でした。手をつなぐのも苦痛だった私自身に少しずつ変化が出てきました。「可愛いな」「すごい大きくなったな」と余裕が出てきたのです。

そして、何か「気」の様な物が混ざる不思議な感覚も味わえました。

たかが10分ほどの行程ですが、「何かをしてあげられている」という自信にも繋がっていきました。それまでは、「何かをしないと」「愛情を与えなければ」というような焦りがあったように思います。

マッサージをしているときの子どもの顔は本当に気持ちよさそうで、幸せな顔をしてくれます。

私はこのタッチセラピーである、チャイルド・ベビーマッサージが、親子関係や健康に非常に有効だと思い、皆さんに伝えてみたいと思いました。

「小さないのち」があったからこそ今の私があるので、それを少しでも返していきたい。そして、これを続けていくことが賢信に繋がっているような・生き続けさせる一つの方法のような気がするのです。

また、マッサージを通じて、その場に居合わせた子ども同士が知り合う、そんなきっかけになればなとも思っています。

 

妊娠中〜子どもが体を触るのを嫌がる高学年(中学生以上のかたは手と足なら触らせてくれる可能性があります)まで、大人がやって貰っても気持ちのいいマッサージです。

難しくはなく、必要な技術は「やってあげたい」気持ちだけです。

〈以下省略〉