会報 No.71

2011/08/04

こころの扉(会報71号)

平成19年12月
発行 小さないのち

生まれて間もない赤ちゃんとのわかれ

12月7日に国立病院機構四国ブロックの小児科研修会が行われました。

特別講演者として坂下が招かれたのですが、会場となった香川小児病院は当会のお子さんが亡くなった病院でもあります。お母さんから万感の思いをこめた手記をお預かりして赴きました。

講演の最後で代読させていただいたところ、終了後、とても感銘を受けたので全スタッフに配布したいと病院側から申し出がありました。次の文章です。

 

四国で小児医療に携わっておられる医療関係者の皆様へ

小さないのち 中西まき

わたしは、娘が香川小児病院に一昨年の秋にお世話になりました、一母親です。

2005年9月に生まれた娘は、21日間NICUにお世話になりました。

娘の名は、凜香といいます。生後2日目に産院から緊急搬送され、NICUで医療スタッフの皆様に、誠意を尽くして看護いただきましたものの、22日目に空へと還ってゆきました。

娘は“13トリソミー”の染色体異常でした。娘の生涯は「一生」と呼ぶにはあまりにも短いものではありましたが、言葉に尽くせないくらいたくさんのことを教えてくれ、おおげさですが、それから母親であるわたしの人生は変わりました。

 

日々、関わられる患者さんが大勢いらっしゃる医療関係者の皆様にとって、わたしたち親子はいち患者でしかないと思いますが、わたしにとっては当事者としての直接体験であり、娘との出会いはもちろんのこと、娘を通して医療関係者の皆様に出会わせていただけたことは、生きてゆくうえでかけがえのない経験となりました。

今日はそのようないち母親の個人的な体験と想いを、少し聴いていただければと思い、坂下さんに手記をお託ししました。

最初に少し、娘がお世話になった経過について説明します。

 

娘は、自然分娩で生まれたものの「下あごの発育が未発達で、ミルクを飲みづらいから、こども病院に行きましょう」と産院の先生に言っていただき、生まれた翌日に、香川小児病院のNICUへ入院しました。

娘が健康体で生まれていたら、おそらく知ることのなかったであろう未熟児医療の世界。たまにテレビのドキュメンタリー番組で観ることはあっても、自分たちが実際にお世話になるとは思ってもみませんでした。

 

数日後に、娘は心臓にも疾患があることがわかりました。左心低形成(さしんていけいせい)、両大血管右室起始(りょうだいけっかんうしつきし)、僧坊弁縮搾(そうぼうべんしゅくさく)、大動脈狭搾(だいどうみゃくきょうさく)・・耳慣れない病名がならび、背筋がひやっとするような感じがしたのを覚えています。

心臓血管外科の先生から伺った手術内容は、素人のわたしには心臓そのものの構造を変えてしまうような難しい手術としか理解できなくて、不安で、不安で。それでも手術をして治るならそれに賭ける、そのためのどんな苦労もいとわない・・・。

そう思っていたわたしたち夫婦を待っていたのが、染色体検査の結果でした。先生からの告知はどんどん深刻な内容となり、あの頃のわたしたちは、坂を転がり落ちるようでした。

すべての疾患は13番目の染色体の異常から来る合併症・・とのことでした。

 

主治医の先生は、心臓手術をするかどうかの決断を、わたしたち夫婦にゆだねてくださいました。不妊治療の末にやっと授かった子どもだけに、告知を受けた直後は取り乱し、なんとか光を見つけようともがきました。

この症例での心臓手術は一番難しい部類に入る手術であるのに、その手術が延命でしかないということと、呼吸不全・心不全の状態が顕著で、手術がかえって寿命を縮める結果になりかねないことから・・、顔の形が変わるくらい泣いて、結局、手術を見送るという決断を、夫と共にしました。

これ以上、痛い思いもしんどい思いもさせたくなくて。夫は、娘の、ひととして生まれた尊厳も守ってやりたいと言いました。

 

最初は、悲しい涙ばかり流しました。手術を取りやめたことが、正直これで良かったのか悩みました。NICUに面会に行っても、泣いてばかり。

しかし、面会のたびに主治医の先生や医療スタッフの皆様が誠実に対応してくださったことと、娘が日に日にやわらかな表情に変わっていったことに助けられました。

誕生の喜びから一転、祈りの毎日に変わり、精神的にもぎりぎりのところにいることの多いわたしたちのような家族を、先生や医療スタッフの皆様が全力で支えてくださっていることも、我が子から教えられたことです。

子どもだけでなく、親であるわたしたちも支えられました。

 

娘は、心臓手術を見送ったことで看取りのケアに入ったわけですが、尽くしてくださった看護で嬉しかったことを、箇条書きで記してみます。

  • 看護師長さんが「凜香ちゃんのためにしてあげたいことは何でも言ってくださいね」と声をかけてくださったこと
  • 祖父母や曾祖母・(私たちの)兄弟の、娘への面会(NICUへの入室)を許可いただいたこと
  • ぬいぐるみやおしゃぶり・洋服・くつ等を、保育器へ持ち込むことを許可いただいたこと
  • 私に、産後だからと椅子をすすめてくださったこと
  • 写真を撮らせてもらえたこと
  • オムツを一緒にかえさせてもらえたこと(どんな小さなことでも娘に関わりたかったのでとてもうれしかった)
  • 点滴やチューブをとめるテープに描いてある可愛い絵
  • 面会時間以外の娘の様子を、こちらが尋ねないうちに教えてくださったこと
  • 様子を見ながら、少しずつ、看護に悔いを残さないように、できることを提案してくださったこと。
    例)手形足形を取ること、旅立ちが近くなれば、奥スペースで面会時間に関係なく付き添わせてもらえること、親の手で、きれいに沐浴をして退院させてもらえること・・・など(親は動転して気持ちが回らないので、してあげられることを提案してくださったのは、後々にとても感謝しました。)
  • 最期に抱かせてもらい、腕の中で看取ることができたこと
  • (亡くなったのが未明だったので)表玄関から出してくれ、車が出るまでスタッフの皆様が見送ってくださったこと
  • 亡くなった後、グリーフワークの会や“SIDS家族の会”等の、サポートグループを紹介してくださったこと

娘はずっと保育器越しの対面だったのですが、亡くなる数時間前の夜には、状態が安定して呼吸器をはずし、初めて娘を抱っこさせてもらえました。

私たちにいい目をみせようと、娘も最後に頑張ったのだと思いますが、そのタイミングを逃さずとらえてくださったことを非常にありがたく思いました。

今のわたしたちの大切な宝物、家族3人での写真を残すことができました。それから数時間後に、わたしは娘を、腕の中で看取りました。

写真の中で、娘は最後に微笑んでいます。とても不思議な写真ですが、この写真には、後々、とても支えられました。後々のわたしが、どうにかこうにかながら、今を生きていられるのは、この写真のおかげといっても過言ではありません。そういった意味でも、医療スタッフの方々に感謝をしています。

 

最愛の子どものいのちを助けられなかった場合、医療者に向けて思うことは当然いろいろあります。時には、それが怒りとなって、医療者に向けられる例もあるでしょう。

物事も、違う角度から見ると見方や感じ方が変わるように、わたしも娘亡き後「あの時、ああしておけば良かった」というような後悔の念にさいなまれなかった・・と言えば嘘になります。

正直今だって、娘のいない現実に、あの時手術を見送ったのが良かったのかどうか、答えは出ていません。おそらく、一生、答えの出るものではないのでしょう。

しかし、医療スタッフの皆様に、誠意をもってケアいただいたという想いが、今の自分に、生きるちからを与えています。

わたしは、娘の生きた証すべてを手元に残したいとの想いから、看護記録とカルテの開示もさせていただきました。病院から後日届いた、分厚いカルテや検査の記録を見て、娘が皆様に大切に思ってもらって、医療を受けていたことを改めて感じました。

 

子どもが亡くなって病院を出たあと、そこから遺族の、慟哭の道のりが始まります。

子どもが亡くなってしまうと、そこはつらい場所で、なかなか病院とその後の繋がりを見つけられないというのが遺族の本音ではあるのですが、病院は、かけがえのない子どものいのちの明かりが灯った場所であり、いのちの輝きをともに見守ってくださった医療スタッフの方々に、いつまでも子どもの存在を忘れてほしくないというのも、親の勝手な想いながら、これもまた遺族の本音です。

 

ここまで、夢中で書いてきて、わたしは小児医療にかかわる皆様に、なにを伝えたかったのだろうと、改めて問い直しました。結論から言うと、冒頭に書いた「医療者の皆様にとっては、その患者は数多い中のひとりでも、家族にとってはかけがえのない1分の1の存在なのだ」ということと、「医療者の皆様の日常の仕事としての医療・看護が、その家族にとって、どれほどの大きなちから(もしくは刃)になるか」という2点であるように思います。

両方とも、おそらく、わざわざ書くこともない当たり前のことだろうと思います。

このことは、元気になって病院を退院する子どもにとっても、共通に大切にされるべきものではあると思いますが、特に、亡くなった子どもの親は、以降、目に見える形でその子の生を紡ぐことを断念させられるわけですから、病院でどのような医療・看護を受けて最期を迎えるかということ、つまり最愛の子どもの医療看護に悔いを残さなかったかということが、遺族のその後の道行きに、大変に大きな影響を与えます。

皆様のお仕事は、それほどまでに、重いです。わたしも遺族になって、初めて痛感しました。だから、そのことを伝えたく思いました。

 

実際には、マンパワー的な問題、現実的な様々な制約など、難しい問題もあるのだとは思いますが、どうか、日々の当たり前のことをもう一度問い直して、医療・看護がますます、温かな、血の通ったものになりますように。

いち母親として、切にお願いいたします。

ありがとうございました。

〈以下省略〉