和歌山県立医科大学医学部

2004/04/30

2004年4月22日 コミュニケーションの講義に招いていただき、

『命といのちを見つめて』

をテーマに話させていただきました。

 

送っていただいた感想の一部をここに紹介します。

 

  • 幼い子どもを亡くされたということで、医療界への批判めいた話かと思っていたら、そんなことではなく、患者と患者の家族がどういう気持か、どんな言葉をもっているのかを話してくれ大変勉強になった。
  • 治療の結果が思わしくなくても、治療者が誠意をもって一生懸命に治療を行った結果であれば、ある程度納得してもらえるという話に、私も将来常に誠意をもってベストが尽くせるようにがんばりたいと強く思った。
  • 今まで気づかなかったことをいっぱい教わった。この講義を受け、医師としてよりも人間として患者のために、喜びも悲しみも共有できる人となっていきたいと強く思ったし、きょう聞いたことは一生忘れないくらいに心に深く残った。
  • 患者の状態・環境はさまざまであり、同じ言葉でも人によって感じ方が違うのだと思った。医療者の立場と患者の立場でも、同じことに対して違う考えが出てくることが分かり、自分も将来、一度患者の立場に立って考えるという作業を行った上で意見を述べようと思った。
  • 医師は正しいことを言っていれば患者のためになると錯覚していることがある。患者や家族の本当の気持を教えてくれた。
  • 話のなかで、患者・家族がうれしかったことの一つに、”共感すること””涙すること”という項があり、医療を行う上で人と向き合うことの難しさを感じた。
  • 医師が流した涙や言葉など、「うれしかったこと」はとても印象に残った。医師は病気を治すだけでなく、亡くなったあとの家族のフォローも大切ということを今後も忘れずにしたい。
  • 医者と患者は、医療を施す側と受ける側で、まったく違う存在かと思い、腫れものに触るようにクソ丁寧に扱うのが良いとしていたが、話を聴いて、しょせん同じ”人間”同士なのだから同じような思いをもっていて当然なんだという原点に帰ったような気がした。
  • 優しく接してもらったらどれだけ安心するかが分かった。
  • 新生児を亡くした母の悲しみと乳児を亡くした母の悲しみのちがいを教わり、なるほどと気づかされ、どちらにも医療関係者が深く関わるということが分かった。
    医師という職業は人の生死を左右すると共に、「死」のあとの「生(人生)」にも深く関与するのだと身震いする思いがする。そういう自覚をきちんと持たねばと思う。
  • たしかに、亡くなったあとのサポートも治療と同じくらい大切だと思った。
  • 子どもや身内を亡くした方々が集まって会を作っていることは知らなかった。医療従事者として亡くなった患者の家族へのサポートを考える必要があると初めて思った。
  • 患者にとってのカルテ開示の真意について、医療者には多くの誤解があったように思う。小児、新生児の場合は家族のケアの必要性が重要だと思った。
  • 「カルテは遺品」という言葉がすごく心に残っている。心に響いた。
  • いのちというものを考えさせられた。小さな命を失ったときの気持は体験してみなければその重みを計りきれないほどだと思う。自分なりによく考えようと思う。
  • 患者さんの「いのち」を守れるような医師になれるよう精一杯努力していきたい。
  • 自分が何気なく過ごしている時間のなかで、どこかで家族に異常が起こり救急車で運ばれたり亡くなったりしているということを実感することができ、普通に過ごすことがまるで奇跡の固まりのようだと感じた。
  • 教科書にはない話が聞けて、考えるところがたくさんあった。
  • 患者さんの立場のお話しを聞くことができ、どのような医師になりたいかというのを改めて考えることができた。
  • もし自分が担当医なら何が出来たのかと考えた。
  • 今までいた子がある日突然いなくなってしまい、その後何年間も喪失感が消えないというのは、ほんとうに辛いことだと思った。
  • 何が印象的だったかというより、全体的にすべてが私にボディーブローをあびせた感じがした。

 

そのほかにも、坂下への温かいねぎらいの言葉や、心強い将来の豊富をたくさん書いていただきました。