医療の質・安全学会 シンポジウム

2009/04/16

【学会抄録から】

 

重症患者の家族が救急に求めたこと

小さないのち 坂下 裕子

 

「小さいのち」は、脳炎脳症や髄膜炎により中途障害を負った子どもと、死亡した子どもの家族会として、1999年に発足した(後に、死亡に関しては病名を限定せず病児遺族を対象としている)。

病気発症時、一刻も早い治療を求めて多数が救急車の出動を要請した。しかし救急医療体制は必ずしも十分ではなかった。

会員の体験調査では、「受け入れ先が決まるまで時間がかかった」「遠くへ運ばれた」など、混乱を来たす搬送状況が顕著であったにも関わらず、救急隊員は「必死で搬送先を探してくれた」「ずっと子どもに声をかけてくれた」「家族を励まし続けてくれた」という証言が添えられた。

家族の動揺と焦燥が渦巻くなか、車内で感情の摩擦がほとんど起きていないことも驚きであった。救急隊員の誠実で懸命な対応に敬服するとともに、この尽力がより生かされる体制の整備を願っている。

私の子ども(1才)も、突然の高熱から意識障害、けいれんへと悪化の一途をたどり、命を閉じた。折りしもインフルエンザの流行期で、しかも夜間であったため、救急車はすぐに到着するも小児科医のいる病院に一軒も受け入れてもらえなかった。

夜間の限られた受け入れ先が、発熱の患児らでふさがってしまったのだ。とくに患者数が増大する冬場に、救急車の利用や時間外の受診を自重してもらうことは急務であると考える。

しかしながら、インフルエンザ脳症のように、インフルエンザのきつい症状や熱性けいれんとの見分けがつきにくい深刻な疾患がある以上、保護者の不安は抑えようがないだろう。

子どもがある程度の様相を示したときの恐怖は推察できる。問題は「ある程度」以下の患者の動きである。

育児力の低下、育児の孤立化が進んでいる。相互扶助の意識に欠けるのもこの時代が抱える問題である。また、事故や急病は、起きて初めて他人事でなくなることから、救急の啓蒙は容易ではない。

しかし一方で、重症を経験し、救急車が頼みの綱であることを身をもって知った人たちは安易な利用を非難しており、共鳴した人の間から救急車の有料化や時間外診療における医療費負担を提唱する声が高まっている。

見直すべき点は患者教育のあり方にもある。八方塞がりのように見えて、改善に向けて打つ手はまだあるかもしれない。

当日は、重症を経験した人たちの病院前救急への要望と期待を具体的に提示したい。

Link 日本医療の質 安全学会