龍谷大学 短期大学

2009/04/16

「インフルエンザをとおして保育関係者に願うこと」

保育実習を前に、学生の皆さんへインフルエンザ予防のお願いと、病気で幼児を亡くした遺族が、死別後に園の保育士または教諭にどのように家族ケアを願い、実際にしてもらうことができたかなど伝える機会をいただきました。

後日、担当の先生が、次のようなメッセージと学生さんたちの感想文を送ってくださいました。

 

(途中から)

当事者のかたの語りというのか、肉声に学生さんたちが直にふれることの大切さを改めて痛感しました。

あの時間、教室を張り詰めた緊張感、緊迫感の中にこそ他者への共感や相手の立場に立つことなど、援助者の基本を学ぶ環境を見出したような思いがしております。

その意味では、今後の教育のあり方を再考させていただくよき機会となりました。

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以下感想文です。 とても心を傾けて聴いていただき、うれしいです。

 

  • 子どもと親にとって初めての「先生」の存在は特別だという話を聞き、私は保育士という仕事の重要性を改めて実感した。保育士との関わりは、その後の親と子に大きな影響を与えるのだということを考えて、言動にも責任を持たなければならないと感じた。
  • 「保育園の先生は、保護者にとっても先生であり、尊敬し頼れる人」という言葉は、私にとって大変重い言葉だった。自分の発言や行動が、子どもの成長に関わるだけでなく、保護者や周りの方々にも影響し変化させると考えると、一言一言が大切で慎重でなければならない気持ちになる。臨機応変に対応できるよう、視野を広げなければならないと改めて考えさせられた。
  • 私は「試練」という言葉について考えました。出た答えは、試練とは、その先に何か目標など光があるとき、それを達成するまでの苦しい道のりや過程を、達成したときに感じる場合「試練」と言う言葉を使うのではないか。試練という言葉は、とても深く、また難しい言葉だと感じた。
  • 苦しい事や辛いことがあったとき、簡単に「試練」という言葉を使いがちだが、子どもを亡くしたときには、この言葉を使うことは意味が違い、ふさわしくないと坂下さんの意見に共感した。うまく何か言葉にしようとしなくても、ただそばにいてあげることも支えになるということを知った。
  • 保育士という職業のように、人と接する職業には大きな責任があり、子どもを守る義務がある。自分の健康管理をきちんとすることは、子どもを守ることにもつながる、必要最低限のことだとわかった。保育実習のための予防接種も、とても軽い気持ちで、受けない事を決めていたが、考えさせられるようになった。
  • 私たちはもっと命といのちを真剣に考え、大切にしていくべきだ。難しく考えず、身近なことから考えれば良い。例えば、規則正しい生活を心掛けたり、病気に罹らないよう予防接種を受けたり、事故に遭わないように気をつけたり。
  • 母親だけでなく、死別した兄弟にもたくさんの影響が出てくる。そのカバーをするのが保育者であり、母親のよき相談相手になることが望まれる。子どもの心を育て、家族の気持を支えるということである。
  • 家族は自分のことで精一杯で、ほかの家族を気遣う余裕などないのだ。そこに第三者が入ることで少しでも心のケアができる。その第三者が、坂下さんのような団体であり、保育士や幼稚園の先生である。保育士や幼稚園の先生とは、子どもの成長を助けるだけでなく、親にも関わっていかなければならない。
  • 子どもを失いショック状態の親に私は何ができるだろうか。良い言葉は掛けられないかもしれない。余計な事を言ってしまうかもしれない。だが、坂下さんが言うように、話をちゃんと聴いてあげることくらいは私にもできる。いまある状況を認めてあげることぐらいはできる。何か大きなことをしてあげるのでなく、そういった些細なことから少しでも母親の気持ちが癒えるようにしてあげたい。そんな保育士に私はなりたい。
  • 兄弟を亡くした子どもたちは母親を人一倍想っているのではないかと感じた。そんな子どもたちや母親を周りが温かく見守り、支えてあげる必要がある。

などです。