小児科学会生命倫理委員会フォーラムの抄録

2010/07/03

2010年3月14日 於:早稲田大学

わが子の看取りと家族会の運営を通して

小さないのち 坂下 裕子

1998年2月、私は1才の長女を、救急から脳死を経て、看取った。

かぜかと思っていたら、みるみる悪化。数時間のうちに「非常に厳しい状態です」と告知されるが、この「きびしい」という日本語さえ、私には理解できなかった。

何より受け入れがたい思いは、ここに至る経緯にある。

急変時に救急車の受け入れ先がなく、経由する医療機関で軽症と見なされ、やっとの思いで治療が受けられた矢先の、前述の説明であった。

救急の場合、親には予備知識がない。心づもりもない。医療者と信頼関係も、ない。

制約の多いなか、後々の悔いを最小限にとどめる決断は、子どもに適切な治療を受けさせることができたかどうか、その納得の度合いにかかってくることを、痛感した。

5日後、脳死となる。「子どもの場合、脳死とは言わず、脳死状態と言います」という言葉尻を捉え、可能性を示唆するものかと過大解釈したりもしたが、着陸に導いたのは、主治医の懸命な治療姿勢と、生命観、医療哲学であったように思う。

「これ以上の治療は、回復がみられないばかりか、あゆみちゃんの体を傷つける行為になってしまいます」。そう告げる主治医の表情は苦渋に満ち、目は潤んでいた。

子どもの生命にかかわる最終的な方針を選択するなどという事は、震えるほど大それたことである。けれども、親なのだから、本人に替って意志を述べなければ、とも思う。

ただし、ここにはいくつかの前提があるように思う。大事な話し合いを行うにふさわしい環境もそうであるが、それ以前にあるのが、医療体制と、治療技術と、治療中の配慮ではないだろうか。

どれ1つ欠いても、最終的な判断と後の感情に影響することを、出会った体験者らからも確認した。

ただし彼らの多くが脳死後の延命を望んでいた点では、体験の違いがあった。

当日は、出会った人々から学んだことを交えて発表したい。