10年待っていた通知

2008/11/13

毎年、いくつかの大学の医学部の授業で
将来お医者さんになる学生に、
患者や家族の気持ちを話している。
とてもよく聴いてくれて、
とてもいいレポートを出してくれたりする。
感性が豊かで、考えが柔軟な学生は予想以上に多い。
また、年々女子の割合が多くなっているようで、頼もしい。

いつか、きっと…
ひそかに思いを寄せていた大学がある。
それは、あゆみを看取った大学病院の医学部。
命を助けてもらうことはなかったけれど、
先生にも看護師さんにも、よくしてもらったと思っている。
であっても、死んだ子の親に授業させるなんてこと
ありえないだろうな、と半ば諦めていた。

そしてきょう、念願の知らせが届いた。
来年の授業を担当させてもらえることになった。
連絡をくれたのは、一番えらい先生のようだけれど、
どうもこの先生、なにも気づいていない様子。
ナイショにしておこう。

ナイショにしておいて、授業のさいごで言おうか。
その病院とは○○○○大学病院、つまりココです。とか
別に悪いことなど言わないのだから、明かしていいような気もするが、
ドン引きされても困るから、やっぱりナイショにしておこう。

あゆみがその大学病院にたどり着くまでに立ち寄った病院で
病名を見抜けなかった(いわば誤診の)医師がいた大学には
毎年授業しに行っている。これも偶然。
のちに、この大学の授業を担当させてくれている先生の素晴らしさを知った。
素性を明かしても、なんら態度を変えず、継続させてくれている。
授業ではいきさつには触れたりしないが、
私は毎年授業を通してつらい記憶を癒していったのかもしれない。

あゆみが最期を過ごした病院と再会できること、感謝しなければと思う。
11年ぶりにあの駅で降り、あの道を行くことを思うと、ドキドキする。