相手を知ろうとする姿勢

2018/03/15

北島三郎さんがご子息を亡くし、インタビューに答えていた。

「つらいです」「でも忘れたくない」
絞り出すように言ったこの言葉が
すべてに思えた。

遺族は、家族の死がどれほどつらくても
その人を、忘れようとは思わない。
思い出も、存在そのものも、消すことになるから。

番組では、インタビューのあと、コメンテーターが、
「私にも子どもがいるので、心情がわかります」
と言ったが、何だか、しっくりこなかった。

自分に子どもがいることによって、
「わかる」と言いやすくなるのかもしれない。

子どもがいない人も、「わかる」と思っていいだろう。

何によってわかるのか?
それは、苦渋に満ちた表情や、絞り出すような声から。

相手を、さほど捉えずに
「私にも、同じ年頃の子どもがいるので、あなたの気持ちはわかります」
と、まず言う人と出会うとき、
子どもがいなくても、わかる人でいてほしいなあ
と内心、思ってしまう。

厳密に言えば、
同じ体験を、同時にしている者同士でも、
相手を「わかる」とは言い切れないことを
体験者同士は、よく理解していて、
だから、相手の話をよく聴き、知る努力をする。

体験もしていないのに、簡単に「わかる」と言わないでほしい
と反発する当事者が、少なからず存在するが、
もしかして、そのように主張する人も、
強調したいのは、「体験していないのに」ではなく
「簡単に」の部分かもしれない。

ちゃんと知ろうと考えている人の姿勢は、
すぐに伝わる。
当事者には、その姿勢。つまり、わかってもらえる迄のプロセスが
心に届くのではないだろうか。