一度は凹んだけど、天使の母らに背を押され、どうにか復活

2009/12/19

シュギョーにいって、元気がなくなった話のつづき。

「かわいそうなぞう」という紙芝居がある。
戦時中、空襲がひどくなり、
動物園のおりが壊れて動物が人を襲っては危険なため
猛獣が次々と毒殺されていった頃、
ぞうのえさにも毒が混ぜられた。
けれども、ぞうは賢く、毒をよけて食べるので、
えさを与えることをやめざるをえなくなった。
ぞうは、やせ細っていきながら、力を振り絞って飼育員に芸をして見せ、
とうとう力尽きるという、上野動物園であった実話に基づく作品。

私は、この話を、小さい頃ではないが、少し大きくなってから本で読み
途中から読み進められないほど、胸が震えたが、でも最後まで読んだ。
読み終えて、子どもながらに、戦争の痛ましさを肌で感じ、
無抵抗なものの立場、平和であることや、人間が人間らしく行動できることの大切さを、
心に刻んだ記憶がある。

ところが講師の先生は、この「かわいそうなぞう」について
「こういう、死んでしまうような話を子どもに見せるなんて。
もっと希望の持てる、命が救われる話を、するべきです」
と釘を刺すともに、
この作品がよく売れていることは問題で、出版社に出版の差し止めを求めたい
とまで強い反対姿勢を示す、その姿に、私は呆然とした。

私の子どもと、これまでに出会った何百人という
短い命を閉じた子どもたちのことが、頭いっぱいに広がり、
どうして?どうして死ぬいのちはいけないの?と思った。

あの子たちは、命を輝かせて生きるなか、
突然降りかかってきた、動かしようのない運命に、立ち向かって、
さいごまで手を抜くことなく生きた子たち。
生きるということが、どういうことなのか、
ほんとうの意味を教えた、尊敬すべき存在、だと私は考えている。

親たちは、深い悲しみに落ちたけれど、
それでも、長い時間をかけて、自力で這い上がり
子どもの遺志を継ぐかのように、いまを懸命に生きている。

こういった自分の周辺と、勝手に重ねてしまい
私の元気は、すっかりしぼんでしまったのだけれど、でも思った。
子どもたちの心を、やさしく、そしてたくましく、育てるためには
教育の要素として、何が本当に必要なのか。
多くの大人たちで考えなければならないと。

避けようのなかった死を、
いけないもののように、
目を向けないようにするものと、されてしまわないよう
私たち遺族当事者が、いま何かを問われているのだろうか、
とも思った。

「かわいそうなぞう」の紙芝居はココから見れます。

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