脳死は、ほんとうに死んでいると言えるだろうか。

2009/07/16

「脳死は人の死である」と、定義されました。
15歳未満の子どもに、国内で脳死移植の道が開かれることが
どうしても差し迫った問題であるこということは、理解できますが、
人間の死の定義が、これほど性急に変化し、決定されていく流れに
立ち尽くしています。

毎週私は、突然のアクシデントから、脳死状態になった
2歳のお子さんの病室を訪ねています。
小児科ドクターからの連絡で通うようになった、その病室には
その子の傍らを、片時も離れず、寝顔を見つめ
いつ目を覚ましてくれるのかと、待ち続けている両親がいます。

きっと目を覚ますとしか、到底思えない。
いったい、なぜこのようなことになったのか、理解ができない。
このまま、どうなってしまうのだろうと、想像もつかない。
そのあたりを、今もグルグルと回っている両親に、
「この子は、もう死んでいるのですよ」と、誰が言えるでしょう。
毎日その子の安らかな寝顔を見て、
時々動くからだに触れているスタッフなら
言えないだろうし、思えないのではないか、と感じます。

人の命の線引きを、
自分たちの多数決で決める立場にある国会議員全員に
脳死状態の子どもを、実際に見に来てほしかった
と今さらながら、思います。

法律が変っても、
臓器提供に応じることができない家族の子どもが
これまでと違う扱いをされてしまわないことだけは、
切に願います。