例えが悪かっただけじゃない らしい
2005/01/27 苦しみのあまりに、その人の”危機”がうかがえるご遺族に対し、
【小さないのち】が心がけていることは、ひとつだけ。
それは、聴くこと。聴ききるよう努めます。
そして次に、認めます。
どんな行動をとっていても、いまの状況を認める。
何を打ち明けられても動じないで認めたい。
是非の判断や、行為の中止はそのまた次にあるものだと思うからです。
でも世間一般には、
人を支えるときには「言う・教える」ことから始まり、
いけないことは「やめさせる」ことから入っていくように感じます。
昨日は明石市でPTA講演でした。
ここまでのところは、信念もって述べたことです。でもこのあと、
私は思いついた言葉にスベッテ、しょんぼり帰って来たのです。
で、いつものように息子(小6)に助けを求めました。
私:ねー大樹ぃ どう思う?「子育てにも共通していると思う」「叱るより状況を認めることが先じゃないか」って話したの。
(息子:うなづいてくれる)
私:でもね、ここでふと、例えを出さないと伝わりにくいかと思って、
思いついたこと口走ってしまったの。そしたら人が固まっていくような気配が…
「例えば、子どもが物を盗んできたとしたら、
私は首を縦に振ってから、一緒に謝りに行こうと言える親でありたい」って。
(息子:あの固まりかたに似る)
え・え・え やっぱりヘン? だよね?
息子:お母さん、そら例えが悪すぎ。
お母さんが話したかったんは、子どもの危機の話ちゃうん。
ぼくは、お母さんのこと知ってるから、言いたいことは分かるけど、
知らん人が聞いたら、この人何言うてんの???ってなるし。
なんでそんな例えしか、思いつかんかったん。
んん…
友だち殴って、大ケガさせてしまった ならちょっと当てはまるかなぁ。
(私:ずっと無言で聞き入る)
(息子:しばし無言で考える)
息子:うん。万引きやったら、
したらアカンということは、徹底的に、親が教えることやと思う。
でも、徹底的と、打ちのめすのとは、違うやん。
見境なくされたら、覚えるより、子どもも傷つくねん。
自分が腹たって怒ってるとか、自分が恥かくから怒ってるとか、
分からんようになって、怒られてるときが、子どもは一番困るねん。
きょう話に行ったところは、小学校やろ?
小学生の親が気をつけなあかんことは、そういうののほうが、先やとぼくは思うけど。
(もうここまでにしておきます)。。。