やさしい悲しいことば

2004/07/10

 人の言葉がこわい と、日の浅いご遺族はおびえるように暮らされますが、だいたいが私もかけられたことのある言葉なので、うなづけます。
意地悪な言葉ではなく、たいていは善意の励ましや慰めのなかに不意に出てくるものなので、遺族はどんな言葉にも傷つくのだ とみなされそうですが、主に、比較からくる慰めや、先走りな励まし、言うご本人が納得を得る(ための)解釈が、どうも困るのです。優しく言ってくれるから、さらに困るのです…。

 こんどは自分が病気になって、またやっぱり「言葉はこわい」と思いました。
親友から届いたその手紙も、優しさと友情があふれるものでした。
けれど結びの言葉に固まりました…。
≪ だからお願いです
もうこれからは、あなた自身とあなたの家族のために生きてあげてください≫

 大病という大きな誤算が生じたとき、それまでの時間や体の使い方、気持のありように後悔が次々と持ち上がってくるのですが、だからといって否定してしまうわけにはいかないのです…。

 『そうなってみな分からんことってあるからな
そのとき最善と考えてしたことは
あれでよかったんや ようやった と思ってたらええねん』
夫がそう言ってくれたから、なんとか持ちこたえました。
新たな一歩が容易に出ないときは、
自分を認めることからしか始まらないと思うのです。