約束を守る。できることを続ける。

2009/08/01

年に1度京都大学の大学院で話をするようになり、4年目を迎えた。
今年も、この日、じっくり思い返した。
この大学に行くようになったのは、あるご夫婦とのご縁からだった。

もう7年前になるが、
厚生労働省の研究班の、外部評価委員をしていた。
患者会として研究に協力し、ときどき、東京で開かれる会議に出席していた。
ところが突然の入院で、私はあらゆる役割を中断した。

手術を終え、抗がん剤治療が続いていたが、
東京で開かれる最後の会議に、日帰りで出たいと、主治医に頼んだ。
免疫が上がれば、遠出も可能であるけれど、それより、なにより、
「あなた、一人でトイレに行けないじゃない」と言われ、
そう、それが一番のネックだった。
そのころ、排尿障害が続いていたので、私は、管を通し、袋をぶら下げていた。

そんな患者が、なぜ会議にそれほどこだわったか、というと、
社会とのパイプが、次々と断ち切られてしまったことが、
とてもやるせなく、心はズタズタだったからだ。
いや、社会との繋がり以前に、自力で用も足せなくなった自分に、
のほうが、大きかっただろう。

どの場所も、私一人が欠けようと、何事もなく、事は運ぶ。
そんなこと、わかっていても、そこへ行きたいのだった。
研究の責任者に、「東京へ行きます」と言ったものだから、その人は、驚き、
「私がそっちへ行きます」と言った。

会議の日程よりも先に、私だけ参加の会議(?)をもち、私も出席したことにする
という案だった。
ほどなく、その人は、病院にやってきた。
病棟の一角で、パソコンを開き、研究結果を説明された。
実際、こういうムズカシイ話、私には、ほとんどワカラナイ・・・
でも、必死で聞いて、質問し、説明を受けて、理解に努め、最後に同意した。

スペシャルな会議は終わり、その人は、「じゃあ、また来ます」と言った。
「あ・・・この人も言った」と思った。
「また来るね」は、別れ際、その場しのぎのように、患者にかける言葉だ
と思うようになった私は、

   どうせもう来れないのに。
   患者は本気で期待するじゃない。

と、心のなかでつぶやいたが、
この人が一回来てくれただけでも、すごいことなんだから、と
笑顔で別れた。

ところが、この人、本当にまた来た。
二回目は、奥さんを連れてやって来た。
私が「本当に来てくれたんですね!」と言ったら、
「え?だって、また来るって、言ったじゃないですか」と、奇妙な顔をした。
以後私は、この奥さんと、大の仲良しになった。

奥さんは、「退院したら、私の勤める大学に、話に来て」と言ってくれ、
当時赴任されていた大学に、2年続けて行き、
それからもずっと奥さんの大学で、年に1度講義をさせてもらっている。
そこでいつも学生の皆さんに、当時の体験を振り返り、話す。

   患者になったり、弱っているとき、人は、
   必ず守れる約束、だけ、してほしい。
   必ず守るために、小さな約束であっていい。
   約束したことを、ちゃんと覚えていて、
   守ってくれることが、患者は、うれしい。

   何かを続けてくれることは、もっとうれしい。
   続けるためには、やはり、ささやかなことがいいだろう。
   そういう地道なまごころこそが、弱った心に響き
   やっとの思いで自分を支えている患者の「支え」になることを、
   身をもって知った。