こんないいことも―フシギの世界
2010/07/11 最近、こころが疲れていく一方。
誤解と思い込みによる攻撃から
解放される抜け道を、探し求めるさなか
とっても、不思議なことがあった。
このままでは、どろどろになりそうなので
気分を切り替えるためにも
そのことのほうを、先に整理してみたいと思う。
ことの始まりは、1通のお手紙だった。
私は、この会を運営する「かたわら」
まったくうだつの上がらない大学院生をしている。
いつ退散しようか
このまま、ずるずると単位修得満期退学まで籍を置くことにしようか、と
いつもいつも、自問自答している。
そんな私が、意気揚々とし続けていることは
子どもを亡くした父母を、訪ね歩くこと。
つまり「はなし」を聴きに行くこと。
それを知った、ある教授が、
読むといいと思われる本を教えてくださった。
それは研究のたぐいではなく、高史明さんの書かれた本だった。
私は、お手紙のお礼を言うために研究室を訪ねた。
特別広い部屋の奥のほうに、応接セットがあり
このとき、大学院でも別格の先生なのだと知る。
部屋の奥まで入れてくださり、コーヒーを入れてくださった。
実はね、と話は始まった。
先生は、中学の頃、生後間もない弟を失った。
母親はひどく悲しみ、その子を抱いて離さなかった。
だから自分は、子を喪う親の思いに、母を重ねる。
そして話は、徐々にフシギの世界に向かう。
先生の結婚後、その弟が、たびたび訪ねて来てくれるようになった。
なぜなら、先生の奥さまが「見える」「わかる」ことができる人だから。
弟は、先生をずっと見守ってくれているのだという。
私は、身を乗り出して聞き入った。
見えるって、何がだろう?
感じるって、どういうことだろう?
私は、ぜんぜん、あゆみの姿も、思いも、わからない・・・
ずいぶん長い時間話を聞き
最後に、お願いをした。
奥さまにお伝えいただけるでしょうか。
もし、あゆみの気持ちが、分かることがあれば
教えていただきたいと。
数日後、先生から2通目のお手紙が届いた。
「家内が、あなたにお会いしたいと言っています」
私は、身震いがするほど、これって・・・
翌日、先生のお宅に電話した。
(長くなるので、次につづく)