いのちを燃やしながら生きる とは

2014/03/22

人の命って、つくづく、頑強なものだなあと思う。
母は、10月に、「あと1か月」と言われたにもかかわらず
何度も持ち直しながら
秋は深まり、冬を迎え、年を越して、冬を越し
「それってあれば奇跡だよ」と言われたことのある
桜の花を見る という願いが実現するかもしれない。

ただし母自身の願い というよりも、それは私の願いであるが、
理由はどうあれ
きょうも生きている ということが、すごいと思える。

先日の入院で、退院前に先生から
現状と予後について詳細な説明があり
その中で言われた言葉が、
ほんとうのところ、よくわからない・・。
「いのちを燃やしている状態です」

もう、あとわずかだということを、示唆しているのだろう
とその場では受け取り
続く説明を聞き洩らさないよう、必死でついて行き、
説明が終わり、部屋を出てから
何度も浮かぶあの一言。

どうも文学的な表現に思え
よくわからないのであれば、その場で
「いのちを燃やす?もっとわかりやすく教えてください」
と尋ねればよかったのだ。

しかし、そうしたなら
何とも言えない気分になる言葉で伝えられることに
なっていたような気がする。
だからこそ、ものごとを、別のものごとになぞらえる
比喩という表現が存在するのだろう。

良い知らせを1つも含まない、つらい告知をするとき
先生は、極力、言葉を選んでいるような気がする。
そういった配慮は受け止めつつ
とはいうものの、解釈するのは自分次第ということになり
結局のところ、
  まるでロウソクみたい・・・
  なんだか 淋しい 哀しい気分

と、せっかくの配慮も、比喩も、台無しの
文学おんちの私。