「ありがとう」と言ってほしいと思ったことはなくて

2014/06/10

前回書いたこと をきっかけに
パソコン内にたまっている「送信済み」メールを整理しており
いくつかの添付ファイル付のメールの、ファイルを開いていくと
あー こんなこと書いて「お返事」してたんやあ
と懐かしくなった。
(人を介した質問だったので、添付ファイルでお送りしていた)

遺族会を始めて、数年間は、やめようと思ったことが何度もありました。
本当にやめようと考えたとき、「あゆみの育児」が浮かびました。
子育ては、時間を吸い取られ、体力が求められ、お金もかかり
それらを自分に当てることがほとんどできないまま、何年も費やしていきます。
にもかかわらず、「産んでくれなんて頼んでない」
みたいなことさえ言われるかもしれません。
それでも私は、あゆみの子育てがしたかった!と心底思い
そうや、親は、別に「ありがとう」って言ってもらえなくても
やっぱり子どものためにできることをし続けるなあ、と思い、
できなかった子育てのつもりで、この活動を続けたほうが
きっと自分のためや、と思い至りました。

そうして続けたものの、やっぱりしんどいことも多く
そろそろもういいかな、と思った頃、病気になりました。
病室に閉じ込められ、自分の世話もできず、何の役にも立たず、
いてもいなくてもいいような自分を感じ続けたなかで、また心底思ったのです。
誰かの、なにかの、役に立てる暮らしがしたい
自分が必要だということを、自分が感じられるような。
そう実感したのち、生活に戻ってからは
与えられた役割は、人目につかなくても、薄給でも、タダでも、同じように丁寧にし
役割を得ているということに、喜びが感じられるようになりました。

説明が長くなりましたが、ご質問の答え
私は「ありがとう」という言葉をべつに必要とせず
この活動を続けている
と授業で話した理由です。

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これ読み返して、初心を大事にしようと思った。
というか、この点に限っては、ずっと変化していない。
ただ元気が出てこないだけ…