返事しないという相手の思いやり

2019/02/10

お子さんを亡くし
そのつらさを、どうにか言葉にして聴かせてくれる人
しんどいだろうに、会おうとしてくれる人に
実は私のほうが支えられている。

一方で、

言葉を送っても、返ってくることがなく
会えたらなあ、と思っていても、なかなか難しい場合も。

どういう人なんだろう…

子どもを亡くすということは
生きてきた世界が変わるほどのこと。
実際に、「見える色が変わった」と言う人もいる。

足元から崩れるような感覚も、よく聞く。
それは、これまでの生き方を否定されたようにも思えるので
歩いてきた道が砕け
この先も、子どもと生きるはずだった未来が消えるので
歩いて行くはずだった道も砕け

どうにか、今、立っているだけ。棒のように。
あるいは、うずくまって。

よく、「過去も、現在も、未来も」なくす
と表現されるが
「現在」は、かろうじてあると私は思う。
ただ生物的に生きているだけだとしても。

だから、明日より先のことは横に置いといて
今、一緒に過ごしませんか
今のことを、対話しませんか

そう思うものの、なかなか…

嫌なこと、言ったりしたり、してないよな?
と自問自答し
私が嫌われているわけではないよね
と思うことに。

役に立てなくても仕方なく、むしろ当然で、
害になるようなことだけは、してはいけないと思う。
その心がけが、すごく大事。

自分だって、
良かれと思って言われているとわかっていても
その言葉にうなづけず、険しい表情で返したこともある。
そのあと、どうしようもなく辛かった。

あ、そういうことか!

接してもらえない、反応が得られない今の私は、
相手の思いやりの中に置かれている状態
なのかもしれない。