いつかは手放すために

2019/06/19

4日間家をあけていたが、その間に、東京で恭ちゃんのママに会った。

この会を最初に2人で立ち上げた相方。

久しぶりに会って、「あの話」の結末を知った。

それは思いがけないものだった。

 

恭ちゃんのママは、恭ちゃんが亡くなってからも

自転車に、恭ちゃんを乗せるイスを、長い間つけていて

外せなかった、というよりも、恭ちゃんを乗せて走っていた。

そこは永久に恭ちゃんの指定席。

 

で、近所に人の心をえぐるようなタイプのママ友が1人いて

何かと傷ついてきていたが

その人は、恭ちゃんのイスに自分の子どもを座らせてしまう。

空いてるんだからと。

ママにしたら、恭ちゃんの上に置かれたようなもので

何でこの人の子を乗せて押してるんだろう・・・わたし

となる、その話がつらすぎて、この先が聞けていなかった。

 

今回、急に思い出して

あのイスは、あれからもずっと付けていたの?と尋ねると、

「最後はね、自転車を盗まれたの」

という結末に、えーーー、と息をのむ。

 

「でも、それでよかったのよ」

という解釈に、すごいな、と思った。

「そうして手放すことができて」と。

 

あー、そうかあ、なるほどなあ。

やっぱり、悲しいことの中の「よかった」は、

本人が見出すことで、他人が言うことではない。