喪失体験とは語られるほどに語るもの
2019/09/29グリーフケアの講演にお招きいただき
もち時間が短かったことから、解説はほとんどすっ飛ばし
訪問診療に従事する方が多いようだったので
母の介護~看取りのことを中心にお話しした。
そのあと担当が替わり、グループワークとなった。
講演内容についてディスカッションされるようだったので、
そのテーブルに私は入らないほうが話しやすいのでは?
と思ったが、入ってくださいと言われ、戸惑う。
椅子を、少し引いてテーブルに着いた。
そしたら、話された内容は、最初の人も、次の人も、その次の人も、、、
全員が、ご自身の死別体験、喪失体験だった。
私は、途中から椅子を前に引き、聴き入った。
小さいうちに親を亡くされた方が何人もおられた。
親しい人を最近亡くされた話や
ご自身の闘病体験もあった。
聴きながら思った。
こうした体験をもつ人が、参加してくれる傾向があるのか?
ある程度の年齢になると、こうした体験は当たり前にあるのか?
いずれにしても、
グリーフやグリーフケアの話を、体験談を中心に話すと
聞き手も語ってくれるのかもしれない。
聞き手も、語りたいと思ってくれるのかもしれない。
だとすると、
こうしたワークの時間は、講演の時間以上に、
多く、十分に設けるほうが、参加の意義が倍増するだろう
と私には思える。