話がいくらでも長くなるワケ
2019/10/23先日、ある式典に出て、「年をとるということ」について
また考えた。
挨拶が長い。30分話した方もいた。
聴いている側に、どう思われるか、考えないのだろうか?
以前、ある学会のセレモニーのような舞台で、挨拶を頼まれたことがあり、
「ひとこと」って、何分くらい話すもんだろう?と思いながら、
5分くらいで準備して行った。
ところが行ってみると、「あいさつ」は10人以上次々とあり
「2分で」と言われたのには参った。
急に言われても、と思うが、するしかない。
でないと、最後のほうの人が、「1分で」と言われたら困るでしょう。
このとき確信した。
若い人は時間を守ろうとする。
若くない人は、守らない。守れない?
なんで?
自分だけは許される、と思うのだろうか?
だったら、自分はエライと思ってしまうんだ・・・
そうとは限らないらしい。
先日の式典で、一緒に帰った人の話によると、
年を取ると「ぜんぶ言うから」らしい。
まず、前置きに何かを言うとする。
普通、前置きは、ちょっと触れて本題に入るところが
前置きでいくらでも話してしまう。
次に、例えば、という流れを取ったとする。
その例え話で、いくらでも話してしまう。
「これは余談ですが」なんてやってしまうと
相当本題に戻ってこれないほど、話してしまう。
だから、長くなるのだと教わった。
なるほどー
年齢的な脳の問題に、元々の性格の問題まで加わったら
そりゃ長くなるわ。こりゃ大変だ。
その一緒に帰った人が、驚いたことは
「挨拶は3分に収める」を信条とし、徹底していた方が
この日、10分話したことだったらしい。
30分話した人以上に、その10分のほうに驚いたと。
人って、無自覚なまま変化していくのだなあ。