ものわかり良すぎると後で苦しい

2020/04/17

「非常にきびしい状況です」

「今夜が山でしょう」

「もって、あと一日」

これらは、実際に親たちが医師から告げられた言葉。

 

告げられた側は、同じ言葉でも、さまざまなのだ。

日本語としての言葉の理解は、全員できる。

でも、姿はさまざま。

 

「あーー、そうなんですね・・・」と言った人がいて、

「そんなこと言わないでください!」と言った人がいる。

 

こうした深刻な告知の場面で

「そうなんですね」(わかりました)

と言える人だけが、場に順応しているのではなく

「そんなこと言わないで!」や、言わないまでも

「そんなはずがない」と思う人も、順応しているのだ

と私は思うようになった。

 

一度は拒絶できる人って、

いいなあ、とさえ思う。

 

厳然たる事実だからといって、理解が良すぎると、

あとになって

「親として、自分は冷たいのではないだろうか」とか

「本能のようなレベルで母性(父性)が薄いのではないだろうか」とか

思う必要のないことに翻弄されたりする。

 

先生や看護師さんは

正確な情報を、適切なタイミングで提供してくれるといい。

ただ、そのとき、

親が否定的な言動に出ても

「この人、理解が悪い」でなく

大目に見て、待ってくれると有り難い。