「泣いていいのよ」っていう許可
2020/05/31「泣いていいのよ」と言ってもらったのが、良かった
と、子どもを亡くした親から聞くたび、
考え込む。私は、いいと思えなくて・・・
ただし、「良かった」の大半が、言ったのは医療従事者。
理由をずっと考えていて、
先日書いた「隣の奥さん」が言った言葉だから
なのか?理由はもっと別のところにあるのか?
理由が見つからない限り、私は、ずいぶん
ひねくれ者のようで、つらいところだ。
きょう読んでいた専門書にも、遺族との接し方を
泣いていいんだよ、と目の前の遺族をありのままに受け止めることが第一歩
とある。出た~
ありのままに受け止めることが第一歩、
と私も思う。でも、「泣いていいんだよ」まで、いる??
読み進めていくと、別の著者が
遺族を傷つける可能性のある言葉のなかに、
「泣いたほうがいいですよ」を挙げている。
「泣いていいですよ」と「泣いたほうがいいですよ」
は少し意味が違うが
私は、どちらも言わない。
私が許可するのも、促すのも、違うと思うから。
偉そうに思える。
そうか、こういうことかもしれない。
医療者のように、専門性に信頼のおける相手であれば
この言葉、受け入れやすいのだろう。
どんな専門家でも、悲嘆をどうにかすることまでは、
できないが。
だから、一般人で、同じ立場の者としては
やはり言わない言葉、にしておこう。
あと、気になるのは、
遺族やつらい立場の人が、インタビューなどで
涙がこみ上げ、言葉が詰まったとき、
大抵「すみません」と言う。
ぜんぜん「すみません」じゃないのに・・・
涙が阻むとき、つまり泣いてしまったら、
咄嗟に、自ら謝る
その自然な姿からも、この「許可」システム
理解できるような気がする。