悲しみのちからが人々に与えるもの
2020/07/10以前、日記に、ドライブレコーダーのことを書いた。
私が出会った年配の男性が、最愛の奥様を亡くされて
悲しみに暮れていたなか、
ドライブレコーダーに、会話が残っていることに気づき
取り出すことができ、喜ばれていたので
お子さんの声や、鳴き声などが残っている方がいるかも!
と思って、日記に書いた。
その日記を、テレビ局の人が読んでいたことから
ご本人の協力を得て放送された番組を、私も見た。
同じ番組を、たまたま途中から見た。
きょうは別の年配男性が出ておられ
ドライブレコーダーは、どのようにして生まれたか?
という話題だった。
そこには、ぜんぜん知らなかった秘話(悲話)があった・・・
男性の19才の息子さんは、交通事故で亡くなった。
事故現場で、目撃者捜しを、一人でずっとしていたが
目撃者は現れることはなく、
車に録画機能があれば、と思いつく。
思いついて実行に移せるところがすごいが
なかなか上手くいかず、試行錯誤が重ねられたようだ。
そうして完成したドライブレコーダーは
今では私たちの生活の、必需品となっている。
子どもを亡くした親の、つらさ、悔しさ、やりきれなさ
などを起点とする、強い思いが生み出したものだったことを知り
気づくと涙が頬を伝っていた。
以前、弱さのちからについて書いたが
悲しみのちから、だなあと思った。